「とりっくおあとりー…………」
 扉を開けた瞬間広がっていた光景に、思わずステッキをつきだしたまま、制止。
 そして次には眉根に皺が寄り、その愛らしい顔が一気に無表情なそれへと変わる。
「総司、何してるの?」
「ああ、。いらっしゃい」
 にこりと笑う沖田の頭には耳が生えていた。狼男のつもりなのだろうが……他で見たような毛むくじゃらの衣裳を身につけているわけではない。耳だけだ。
 それだというのに何故か狼男だとすぐに分かるのもなんだが、その恰好が妙に決まっているのも不思議なものだ。
 いや、問題はそこではない。そこではなく、
「……その山は?」
 彼の目の前に鎮座する山こそが問題なのである。だから正確には、彼が何をしているのか、と問うのではなくその目の前の山はなんだと聞くのが正しかったかもしれない。
「ああ、これ?」
 じっと見つめる眼差しに気付いて沖田はにこりと満面の笑みで答えた。
「今日の戦利品だよ」
 山のように積み上げられていたのは、お菓子だった。これぞまさしく、お菓子の家ならぬお菓子の山。
 チョコや飴だけではなく、スナック菓子に和菓子、さらにはケーキの箱まであってびっくりする。それが堆く積み上げられているのだからまた驚きも更に。
「みんながくれたんだよ」
 狼男は皆が快くくれたのだ、とそれはそれは清々しいまでの笑顔で言ったのだ。
 きっとその天使の笑顔に、女子生徒がこぞってお菓子を差し出したのだろう、というのは容易に想像が出来た。だが騙されてはいけない。天使の顔の裏には悪魔が潜んでいる事に。何故ならこの男、お菓子を差し出した女子の顔の一つでさえ覚えていないのだから。
「あ、もくれるんだよね?」
 この上まだ食べるのかとは言いたくなる。山のように高く積み上げられたお菓子はどう見ても一日二日で消化しきれるものではない。一月はお菓子に不自由しないだろうに。
「え、と」
「無いって言ったら、悪戯だからね」
 しかも、子供にまで容赦はない。なんという男だ。
 は即座にポケットを探った。彼女が声を掛けに行った面々の中でにお菓子を要求するような輩はいない。むしろ彼らの方から何も言わずとも差し出してくる。だから手ぶらでも構わないと近藤が言っていたのだけど、彼は他の連中と違うと分かっていた。
「……」
 唯一持ってきていたポッキー(小分け一袋)を差し出す。
 因みにアーモンドの入った高いやつだ。
 10歳の子供であるにはそれでも十分立派なお菓子、ではあるが、山のように積み上げられたそれらから比べるとなんともしょぼい一品である。有名菓子店の高いお菓子やら、ケーキをワンホール贈ってきている女子もいるのだから。
 でも、沖田はにこりと笑って受け取ってくれた。
「ありがと。随分と可愛らしいお菓子だね」
 まあ、嫌味は言われたけれど。
 沖田はポッキーを受け取ると、早速ぺりっと袋を開けて一本を口に咥えた。
 ほっと胸を撫で下ろし、は今度は自分の番だとステッキを突き出して、トリックオアトリート。ハロウィンの文句を口にする。
 と、彼はああそうだね、と言って当然のようにそれを突きだしてきて、流石にも目が点になった。


ハッピーハロウィン2012


「え?」
 差し出されたのは食べかけのポッキーだ。しかも自分が今渡したやつ。
 それはどういう事かと怪訝な顔で見上げると、あれ、いらないの? と聞かれた。
「じゃあ、悪戯を」
「!?」
 そして今度は満面の笑みでわきわきと手を動かしながら近付いてくる。は慌てて頭を振った。
 違う、悪戯して欲しいんじゃなくて!
「そ、れ、食べかけ」
 普通はこう自分が用意したお菓子を渡すもので、百歩譲っても他の誰かから貰った物を差し出すべきじゃなかろうか。自分が渡した、食べかけのものなんて言語道断である。
 しかし、沖田は何が悪いのかと首を捻る始末。さも自分は間違っていないという態度には呆れてしまった。
 それから、もういい、と手を挙げて頭を振り部屋を出ていこうとする。
 小学生に呆れられる高校生。構図としてはなかなか滑稽なものだ。
 だが、それで終わるのが沖田総司ではない。
「待ってよ」
「……ぇ、わっ!」
 突然腰を掬い上げられた。と思うと足が地面から離れ、一気に身体が浮き上がる。遠ざかる地面に恐怖と、心許ない浮遊感に思わずという風に声を上げて縋る物を探せば、くるりと身体を反転させられて、それ以上に恐ろしい沖田の悪戯っぽい顔が現れた。
「そう、じっ」
 突然どうして人を抱き上げるのだろう。
 しかも原田のように膝に乗せてくれるのではなく、腰を抱いて抱き上げるだけ。支えてくれるのが腕一本では離されては落ちてしまう。縋る物がないのは怖いが、沖田に縋るのはもっと怖い。は顔を歪ませた。
「駄目だよ、人に言うだけ言って逃げるなんて」
 彼はにやにやと意地の悪い笑みを浮かべながらそう告げる。
「それって喧嘩売るだけ売って逃げるみたいなものじゃない」
 全然違う。
 まず喧嘩なんか売ってないし、そもそも喧嘩を売るというのならば彼の方だ。人があげたものを差し出すなんて、しかも食べかけ。
「総司が、変なもの渡すから」
「変な物? あれ、これって変な物なの? もしかして毒薬入りとか?」
 沖田は器用に片手での身体を支え、片手で袋を引き寄せて直接ポッキーを歯で捕らえて咥える。そうやって煙草を取り出す人を知っているが、それを言ったら沖田はきっと怒るので止めておこう。
 器用に咥えたままでカリと噛む。勿論落とすようなへまはしない。そして器用に咥えたまま喋り出す。
「違う。入ってない」
「じゃあ、普通のお菓子でしょ? ほら」
 ほら、と手がふさがっているのを良い事に、今度は咥えたそれを突き出されて面食らった。この男はどこまで冗談でどこまで本気か分からない。
「食べないの? じゃあやっぱり」
 悪戯かなと目がぎらりと光る。は慌ててぶんぶんと頭を振った。
 その瞬間、黒い三角帽子が落ちたが拾わせてはくれないだろう。
「で、でも」
「でもじゃない。お菓子か悪戯か」
「……」
 は唸った。
 もはや彼が口に咥えたポッキーをこちらから噛むというのも、悪戯のようなものだ。ある種の拷問と言っても間違いではない。これが恋人同士ならば嬉恥ずかしで、出来るかもしれないが(は出来そうにないけれど)二人は恋人同士ではないし、ましてや沖田に大して恋心を抱いているわけでもないのだ。それなのにこんな、
。僕あんまり気が長い方じゃないんだけど」
「あ」
「このポッキーを食べ終わるまでに答え出さないと強制的に、悪戯、ね」
「わ、わかったから!」
 じゃあお菓子を選ぶから、と言うのに咥えようとした矢先、ぱくりと大きく一口食われて、ポッキーが短くなってしまった。端っこを食べて解放して貰おうと思ったのに。
 それを見透かすかのように、沖田がにやりと笑った。
 は慌てた。
 即座に追いかけて、ぱくつこうとしたら、また、ポッキーが逃げた。
 また短くなって、気付けばもう先は5センチも残っていない。
 顔を近付ければ食えなくもないけれど、沖田とそこまで顔を近付けるのはやはり恥ずかしい。いくら何とも思っていない相手と言っても、だ。
「あれあれ、どうしたの? これじゃあ悪戯決定だよ?」
「っ!」
 にやにやと笑いながら言う男をは睨み付ける。
 意地悪だと分かってはいたがここまで意地が悪いとは思わなかった。後で近藤に言いつけてやる。こんな恥ずかしい目に遭わされたと言いつけてやるんだと悔しさのあまり涙まで滲ませ、こうなったらヤケクソだと小憎たらしい男の顔を睨み付け、目を瞑ってポッキーに噛みついた。
 その時だった。
 がり、と今までとは違った大きな音が響いたのは。
 何の音だったか、目を瞑っているには分からない。
 いやそんな事よりもポッキーの事でいっぱいで、恐らくそこにあるだろうそれへとかりと噛みついてみた、が、不思議な事に彼女が噛んだのは空気で、あれれ、目測を誤ったのだろうかと目を開けて確かめようとしたら、突然、唇に何か柔らかいものが触れた。
 ポッキーの甘いにおいはしたけれど、ポッキーではない。ポッキーはそんなに柔らかくない。
 柔らかいポッキーなんてポッキーじゃない。
 では一体何が唇に触れているのだろうか?
 は目を開けた。
 すると飛び込んできたのは、長い睫が影を落とす誰かの目元で。
 あれれなんだろうこれはとまじまじと見つめていると震えた睫の下からゆっくりと、意地の悪い翡翠の瞳が現れて、それから、それから、
「悪戯、成功」
 唇に触れた何かがゆっくりと蠢き、言葉を紡ぐ。
 人間の身体の中で言葉を紡ぐものはただ一つ。口だけ。
 え、それじゃあこれって、え、え?
 頭の中をぐるぐると言葉が回り、の目が落ちてしまいそうな程に大きく見開かれ、漸く頭が正常に動いて状況を理解した瞬間、は今までの愚鈍さが嘘のように早かった。
「っ!!」
 声にならない声を上げたかと思うと、突然どんっと大きく男の肩を突き飛ばす。
 それは子供のそれとは思えない力で、不意打ちのそれに思わずと沖田は手を緩めてしまう。
 しまったと思った時には遅い。
 は落下し、あろうことかごちんと頭を打ち付ける始末だ。これには沖田も慌てる。
「ご、ごめん! っ」
 慌てて駆け寄り、打ち付けた頭の下に手を差し込んで起こしてやる。
 頭を打った事で一瞬呆けたような顔をしていたが、瞬き一つで我に返ったらしい彼女は次の瞬間、きっと沖田を睨み付けて、はね除けるようにして飛び起きた。
「っちょ、ちょっと!?」
 多少ふらつきながらもばたばたと教室の扉の方まで駆けて小さな背中を沖田も追いかけた。
 まさかこのまま行ってしまうのを見送るわけにはいかない。彼女の怪我の具合も確かめなければいけないし、何よりこのまま近藤の所に泣きつかれては彼が怒られるのは目に見えている。
 しかし、その腕を掴んで引き留めようとしたその時、きっと振り返ったの顔を見て、固まってしまった。

 は、憤怒の表情を浮かべていた。
 あの喜怒哀楽の乏しい彼女が、顔を真っ赤にして怒りを露わにしていた。
 怒るだろうとは思っていたがそれよりも彼が驚いてしまったのは、つり上がったその目に、大粒の涙が浮かんでいた事だった。
 零すまいと必死に堪えるように唇を噛んで沖田を睨み付けて、だが最後には何かが弾けてしまったのかその顔をくしゃりと歪めてこう吐き出した。

「総司なんか、嫌いぃ!!」

 ばたばたばたと遠ざかっていく足音を聞きながら、沖田は微動だに出来なかった。
 恐らく永倉などが聞いたら一生立ち直れないだろう言葉だが、この沖田も多少ぐさりと来たものの再起不能とまではいかない。
 ただ、酷く困惑した顔で口元を押さえて、彼はぽつりと自分がしでかした事の大きさを今更のように思い知った。

「まずいな。僕……」

 多分後でこってり土方と近藤に叱られる事だろう。いや、原田や斎藤に冷たい目で見られるかもしれない。藤堂や永倉からぐちぐちと文句を付けられる事にもなる。面倒だ。ひたすら面倒だ。
 でもそれよりもまずいなと思うのは、

「僕、ロリコンの気があるかもしれない」

 あんな子供相手に、ときめいてしまった事。




 子供相手でも容赦のない沖田。
 は暫く近づいても来なくて、後でちょっぴり
 凹んでいたとかいないとか。

 2012.10.27 蛍