「もう土方さんの所には行った?」
「ううん、まだ」
 両手にいっぱいお菓子を抱えた小さな魔女を見つけて沖田が声を掛ければ、彼女は振り返ってふるふると頭を振った。
「やめておいた方が良いよ。どうせ相手にしてくれない」
「でも、近藤さんが土方さんの所にも行ってって言ってた」
「近藤さんも人が悪いなぁ」
 やれやれとため息を吐きながら沖田は呟く。なんだか少し馬鹿にされている気分になっては眉根を寄せた。彼にはが相手にされないのが予想できていると言いたげだ。
「土方さんは、そんな冷たい人じゃ無い」
 と思う。
 が言えば沖田の目がすいと意地悪く細められた。慌てて行ってくると踏み出すと、その大きな揺れで帽子がずれて、その顔を隠してしまう。前が見えなくて慌てると沖田がひょいとつまみ上げて直してくれた。
「まあ頑張ってね。あの人今、すごい機嫌が悪いから」
 苦笑でそんな怖いことを言う彼は優しいのかそれとも意地悪なのか。
「もし、悪戯されそうになったら噛みついて逃げてくるんだよ?」
 彼は言うけれど、そんなこと土方に出来るわけも無い。
 は気を引き締めると賑やかな広間をそっと離れた。


 何故ハロウィンパーティなんてくだらない行事に参加しなければならないのか。くだらないと言うと近藤が哀しそうな顔をするので言わないが、心の中ではくだらないと土方は思っている。そもそもハロウィンとは死者のお祭り、或いは収穫祭なのである。収穫祭と言っても別に自分たちが作物を育てているわけでは無いから祝う必要もないし、死者の祭ならばもっと厳かにすべきだ。
 というかそれが何故仮装になったのか意味が分からない。
 ついでに言うとトリックオアトリートなんて意味の分からない言葉で「お菓子」か「悪戯」を選ばなければいけないのも理解出来ない。
 因みに彼はお菓子など用意していない。
 お菓子がなければ悪戯だが、そんなもの出来るものならやってみろと言うのである。
 ドラキュラ伯爵は煙草のフィルターを潰しながら、赤ペンを走らせながら思った。
「とりっくおあとりー……」
「だから、俺は参加しねえって言ってんだろうが!」
 しつこいぞと、怒鳴りながら振り返るとびくっと来訪者が飛び上がった。
 思ったよりも小さい影だ。見れば子供である。
「と、おまえか」
「……」
 近藤の家の養女。であった。
 彼女は彼の剣幕に驚いているようであった。いや、怖がっていた。その顔が引き攣っている。
 滅多な事では怖がったりしないしない彼女が目に涙まで浮かべている。これは相当怖い顔をしていたようだ。
 土方は慌てて表情を緩めた。
「悪い。うちの生徒かと思ってよ」
「……」
「ほら、んな所突っ立ってねえで入ってこい」
 入ってこいと言ってもは迷う素振りを見せるので、土方はがりがりと後ろ頭を掻きながら煙草を潰して立ち上がると入り口の方へと近づいていった。そうしての背を押して中に入れてやる。漸くパタンと扉が閉まった。
 怖がらせた詫びにコーヒーでも入れてやるか。そう思って今は誰もいない職員室の中を横切ったものの、子供では苦いコーヒーは飲めないだろう。だが紅茶などと言う洒落たものはここにはない。ココアなどもってのほかだ。
 土方はもう一度後ろ頭をがしがしと掻き、仕方ないので自分のコーヒーを入れて戻ってきた。はその間ずっと動かずに突っ立っている。
「で? なんだって俺の所に?」
 ぎ、と椅子に腰掛けて問い掛けるとは持っていたステッキをこちらにかざしてきた。
「とりっくおあ、とりー……と」
 語尾がすぼんで消えたのはまた怒鳴られるかも知れないと思ったからだろうか。悪い事をした。別に彼女を怒ったわけでは無いのだけど。
「ああ、悪いが。俺は菓子の用意なんてしてねえ」
 そんなもの興味は無い、と言いたげに彼は手をかざしてみせる。
「それじゃあ、悪戯、」
 お菓子がないのでは悪戯するしか無い。
 が言えば土方の目がぎらっと光った。
 また怒られる。はびくっと身体を震わせたものの、ここで退いてはいけない。だって近藤に言われたのだ。皆からちゃんとお菓子をもらってくるようにって。だから、彼からも貰わなければいけない。
「っ」
 は情けなく下がりそうになる眉を跳ね上げ、琥珀に力を込めて睨め付ける。
 子供が精一杯虚勢を張っているらしい。
「お菓子が、ないなら、悪戯」
 はステッキを突き付けたまま言う。
 お菓子を寄越さないと悪戯すると。
 その目の奥に微かに怯えた色を湛えながら。
 面白い、と彼は思った。
「悪戯だと? 俺に出来るもんならやってみろってんだ」
 にやりと不敵な笑みを浮かべる伯爵の色香にぎくりとする。
 吊り上げられた唇から零れる白い歯には勿論、吸血鬼のような鋭い牙は無い。でも、それでもその毒牙に掛かれば血の一滴さえも飲み干されて彼に囚われてしまいそうな……
 そんな錯覚に陥り、は慌ててステッキを身構えた。
 勿論男は動かない。ただ両手を広げてやってみろと挑発するような格好を取ってみせる。
「なんだ? やらねえのか?」
「……」
「やらねえんなら……俺は仕事に戻らせてもらうぞ」
 時間が惜しいからなと言うと彼はきぃと椅子を回転させて背を向けてしまった。あ、と声を上げたが、もはや届かない。
 ペンを拾い上げた伯爵はこちらには興味も無いと言いたげにテスト用紙とにらめっこを始めてしまった。
 はしょぼんと肩を落とす。
 やっぱり土方には相手をしてもらえなかった。予想はしていたが、まさかこうもあっさりと打ち負かされてしまうなんて。はあとため息を吐く脳裏に「だから言ったのに」と笑うだろう沖田の顔が容易に想像できた。
 駄目だ、ここで逃げ帰っては。
 近藤にもくれぐれもと言われたのだ。沖田の思い通りになどなってたまるか。
 はぎゅっと今一度奮い立たせるようにステッキを握ると、背中を向けている男を睨み付けた。幸いな事に彼は全くの無防備だ。が攻撃してくるなど露ほども思っていないのだろう。
 見てろ、目にものを見せてくれる!
 の琥珀にめらっと闘志の炎が揺らめき、一体どんな方法で一矢報いてやろうかとその小さな頭で考える。

 までも無かった。半ば悪戯は決めていた。ここにくる途中で。

『もし、悪戯されそうになったら噛みついて逃げてくるんだよ?』

「なっ!?」
 突然背後からがばっと飛びつかれた。
 かと思うといきなり、
「ってぇ!?」
 首筋に痛み。それは激痛とも言えるものだったかもしれない。
 が遠慮無く噛みついたせいだった。
 いやまさか、さすがの土方でも首に噛みつかれるとは思わなかったらしく、一瞬対応に遅れた。が次の瞬間にはその表情を怒りに変え、
「こ、のっ!」
 強引に引っ剥がす。力は入れない。入れなくとも子供の力など御するのは容易い。
 そうして引き剥がして、逃げるよりも前に捕まえて向き合う。
「てめぇ、よくも……」
 ひ、と声を上げてしまいそうなほど土方は恐ろしい形相をしていた。子供にしてやられたのと同時に、自分の迂闊さと、それ以上に仕事が詰まっている事への苛立ちが彼に拍車を掛けた。後の二つはただの八つ当たりだ。
「覚悟は出来てんだろうな?」
「っ」
 の顔がざぁっと青ざめた。
 その眉が一気に下がり、瞳がおろおろと揺れる。
 が、は泣いたりはしなかった。
 そればかりか、何が悪いのかと言いたげにきっとこちらを睨み付けてくる。
 悪戯をしろと言ったのは彼だ。まあ正確には出来るものならやってみろと言ったのだが、意味合いは変わるまい。なんら悪い事をしたつもりはないし、もし悪いと言うのならば隙を見せた自分こそが悪い。
 は琥珀の瞳に強い色を湛えてにらみ返した。決して屈しない、その強さが瞳から窺える。
 何故だろう?
 その目を見ていると男の中の加虐心がむくりと頭を擡げてきた。
 子供を苛める趣味などはないのだが、彼女の目を見ているとどうにも打ち負かしてやりたくなる。泣いて自分に屈服する姿が見たくなる。どうしてこんな気持ちになるのか。
「私、悪い事してない」
 少女は負けじと言った。
 可愛くない事を、その薄いピンク色の唇を歪めて。
「土方さんが悪戯しても良いって言った」
 だからやったと、彼女は言った。
 その目をきっと吊り上げて、真っ直ぐに睨み付けて、決して屈するまいと、負けるまいと……いや、打ち負かせるものならばやってみろと彼が先程言った台詞を返すみたいな瞳で。

 その瞬間、土方の中で何かがぶちりと切れた。
 多分、理性というやつだったのだと思う。


ハッピーハロウィン2012


「……っは、ぁ」
 先程まで随分と可愛くない事を言った唇から零れるのは甘い吐息。
 挑発的な色さえ浮かべていた琥珀は涙で濡れ、瞳はぼんやりと力なくこちらを見ている。濡れた色は酷く甘く、儚げで、しかしその奥にまだ強さを残している。小憎たらしいまでの強さを。
 くそと思った瞬間、また勝手に身体が動いた。
「やめ、」
 やめてと上がった声が酷く甘い。それ以上に甘かったのは口の中だ。
 ふわりと香るのはクリームの甘さとイチゴの酸味。胸焼けがしそうな甘さだが、何故か嫌だとは思わない。もっと味わいたい、とそう思ってしまう。それはきっと時折聞こえる泣きそうな声のせい。

 ――はて、今、自分は一体何をしている?
 何故口の中が甘い? 何故彼女の口の中が甘いなど分かる? 彼女がお菓子を食べていたなどと。
 何故分かったか、それは彼女の口の中を味わったから。何故味わう事が出来たか、それは彼女の口の中に舌を差し込んだから。何故差し込んだかというとそれは、

「トシ……」

 突然聞こえた声にぎっくーんと土方の肩が震える。
 はっと顔を上げるとそこに、今まで見たことが無いくらいに怖い顔をして立っている彼の姿があった。
 そう、彼女の養父である近藤の姿。
 彼はふるふると震えそうになる手を拳を握りしめて堪えていた。が、表情には怒りを露わにして。
「トシ、に……何を、している?」
「い、いや、これは、その」
 近藤さん、これには深い理由が、

「言い訳無用!!」

 烈火の如く怒った近藤が、金輪際娘に近づくなと彼を怒鳴ったのは言うまでもない事である。




 最初は噛みつくだけの話が気付くと土方さん
 は暴走してくれてました。
 10歳児相手に何してんだ、この大人は。

 2012.10.27 蛍