あちこちで「なにその格好」と言われた私の黒猫の仮装。
そんなに似合わないかと訊ねると皆が困ったような顔で「いや」と答えた。
誤魔化すほどなのかと心の中で突っ込みつつ、やけくそ気味で校内を徘徊していたら悪戯と称して置かれたバケツに見事
両足を突っ込んだ。
下手すぎて笑えない。
どうやら先生用の悪戯に引っかかってしまったらしい私は、濡れたニーソと上靴とを脱いで、ぺたぺたと暫く裸足で徘徊
することになったのだけど、
「斎藤先生?」
突如現れた先生に、問答無用で教育指導室に連行された。
私の格好『指導』しなきゃいけないほどまずいですかー?

『くそ真面目』
と彼を知る百人が口を揃えてそう称するほど、斎藤先生は真面目な人だった。
真面目すぎていつか胃に穴空きませんか?ってくらいの真面目な彼は、今日もやっぱり真面目だった。
この面倒くさいイベントに、ちゃんと仮装をしている。
とはいっても、いつものスーツ‥‥とはいっても上着はさすがに皺になるからかシャツ姿、に何故か、包帯をぐるぐる巻き。
頭と首とに微妙に巻かれたそれを見て、私は「ミイラ男?」と訊ねれば「透明人間だ」と真面目な顔で反論をした。
どちらにせよ中途半端すぎてなんとも突っ込めない。
彼なりに頑張ってるつもり、なんだろうから、そこは敢えて何も言うまいとは思うのだけど。
いや、それよりも、
「先生?」
「なんだ‥‥」
難しい顔をしたままの彼に呼びかけると、不機嫌そうな声が返ってきた。
ええと、と私は自分の格好を見下ろしながら、
「どうして、私はこんな格好をしているんでしょう?」
と訊ねる。彼は答えた。
「それはおまえが、自分で選んだからだろう。」
俺が知るかと言いたげな言葉に、いや、そんな事は分かってると私は心の中で呟いた。
自分で選んで黒猫のコスプレをしてるんだ。そこまで呆けちゃいない。そうじゃなくて。
「‥‥このスーツの上着の事なんですが‥‥」
なんで私は黒猫コスプレの上に、彼のスーツの上着を着ているのだろうか?
訊ねると、斎藤先生はそっぽを向いてしまい、
「それは‥‥おまえがとんでもない格好をしていたからだ。」
と言うのである。
なるほどなるほど。
彼なりに、私の格好はまずいと考えて、その上に上着を着せることによって人の目から隠した‥‥ということらしい。
私の格好は人様に隠さなきゃまずいようなものなのかと落ち込む一方で、今の自分の格好が、先ほどよりも更にまずい事
になっているような気がして、あの、と口を開いた。
「‥‥これ、逆にやばくないですか?」
黒猫の格好の上に、スーツ。
スーツは勿論男性物だから、ぶかぶか。
ちょっと長くて、でも丁度私の太股まで隠れる。
その下は素足。
つまり、前を隠してしまうと、スーツだけを着ている‥‥つまり『着替えが無くて彼氏のシャツを着ちゃった彼女』的な
格好になってしまうのだ。
これが斎藤先生のスーツなんだから更にえろく感じる。
このストイックな先生と、そういう関係なのかと思うと、だ。
「っ!?」
指摘に先生は目を見開きぎょっとしたような顔になる。
だからといって、それをはぎ取らないあたりが先生らしい。
別に肩に掛けているだけなので取られた所で脱がされたと値しない上に、それは彼のものだし彼が掛けてくれたものなの
で、どうしようと彼の自由である。
だけど、しない。
ただ、顔を真っ赤にして、
「そ、その、すまない‥‥」
なんて謝ってきた。
いや、そんな謝られるとこちらが悪い気分になる。
「いえいえ、私気にしてませんから。」
ぱたぱたと手を振ると、何故か不思議な顔をされた。何故に。
「それよりも、だ。
そのような格好で校内を彷徨くとは一体何を考えているのだ?」
こほんと咳払いをしつつ厳しい口調で問われて、いや、だって、と私は口ごもる。
「今日はハロウィンですし。」
一応先生だって仮装してるんだから、そのあたりは理解してくれてると思うんだけど‥‥
「今日がハロウィンだということは俺も分かっている。」
「‥‥」
「俺が言いたいのは、どうしてそのような格好をしているのかということで。」
「だから、ハロウィンだから。」
あれ?ループ?
これ延々と進まないんじゃなかろうかと私が思った瞬間、違う、と先生は頭を振った。
それから、言いにくそうな顔になった。
「‥‥何故、その‥‥」
「その?」
じっと見つめられたがすぐにふいっと視線を背けられる。
何それ、視線背けるような格好?
隠さなきゃいけないような格好で、まともに凝視も出来ない格好か。
うわぁ、へこむー
いやそりゃまあ千鶴ちゃんほど似合ってるとは思わないけど、さ。
がくりと項垂れて落ち込む私に、斎藤先生は言った。
「その、艶めかしい格好は‥‥」
なまめかしい?
あまりに聞き慣れない言葉で思わずどういう意味か一瞬分からなかった。
『艶めかしい』とは『仕草が色っぽい、婀娜っぽい』ということ。
つまりはなにか、私の格好がえろくさいとかそういう事ですか?
別に私下着をチラ見せしてるわけでも、胸元ががっつり空いてるわけでも、もちろん服を着てないわけでもない。
普通に服を着て、普通に歩いてるだけで‥‥え?なんでエロイ?
「この学校にはいるのはほとんどが男子だ。
その中をそのような格好で歩くと‥‥」
つまり、ごにょ、と誤魔化した先生の言葉は右から左。
そんなことよりも私は自分の格好のどこがいけないのかを探す事に専念する。
「勿論、皆が皆おまえをそのようなふしだらな目で見ているわけではない。だがしかし誘惑に勝てぬというのもまた人間
の‥‥」
「‥‥」
「‥‥‥雪村?」
恐らくずっと俯いたままの私に気付いたんだろう。
先生が私の名前を怪訝そうに呼んだ。
私はその呼びかけを無視しながらぺたぺたと自分の服のあちこちを触る。
とりあえず、ファスナーが全開とか、下着がはみ出てた、とかそういう失敗はない、ようだ。
それならなんでエロイと言われなきゃなんないのかと、顔を上げて、ばちりと視線が絡んだ。
「先生。」
自分で分からなければ聞くしかない。
「私の格好のどこがエロイですか?」
ベタな変態のように、スーツの前を広げて見せれば、何故か、先生の目がくわっと見開かれて――
「驚いたー、突然先生倒れるんだもん。」
ぱたぱたとうちわで扇いで風を送りながら呟くと、濡れタオルを持ってきてくれた山南先生がまったくですねと苦笑を漏
らした。
因みに斎藤先生はベッドの上に、横になってる。
気まずいのか顔は向こうで、視線を合わせてくれない。
「でも突然どうしたんですか?」
突然なんで倒れたんだろう?
具合でも悪かったとか?だとしたら気付いてあげられなくて申し訳ない。
「きっと、逆上せたんですよ。」
訊ねた私に答えたのは山南先生だ。
逆上せた?
今日はどちらかと言うと寒かったのに?
「ね?斎藤君?」
「っ!」
意味深な視線を向けられた斎藤先生は、肩を強ばらせただけで、返事をしなかった。
ただ、背けた耳が真っ赤になってるのが私は不思議だなぁと思った。
「‥‥それじゃ、雪村君。私は少し見回ってきますから。
斎藤先生を頼みますね。」
「はーい。気を付けてー」
白衣のまま部屋の外へと出ていこうとする彼に声を掛けると、何故か、
「君こそ、気を付けてくださいね。」
と言われてしまった。
何に気を付ければいいんだろうと訊ねる前に、彼は出て行ってしまって、残されたのは私と斎藤先生の二人きり。
とりあえず具合が悪いんだとしたら黙っていた方がいいのかと思って、無言で右手を動かし続ける。
ぱたぱたとただうちわが右へ左へと動く音だけが室内に響いて、ふいに、
「もう、いい。」
先生が呟いた。
もういい‥‥うちわの事だ。
「あ、逆上せ、大丈夫になりました?」
「‥‥‥‥‥‥ああ‥‥」
相変わらず顔を背けたまま、で、先生は頷く。
それなら良かった。
「‥‥」
「‥‥‥」
そうなると、私は手持ちぶさたになってしまって、無言で傍らの椅子に腰掛けたまま、視線をあちこちへと彷徨わせる。
衝立で仕切られた向こうならば見ていても面白いものはたくさんあるんだけど、ベッドしかないこの部屋では見る物もそ
んなになくて‥‥仕方ないから私は天井の模様でも眺めることにした。
外に出る、という選択肢だけは何故か無かった。
「‥‥。」
天井の染みをなぞっていくと隣のクラスの山田に似てるなぁ、なんて思ってると、突然声を掛けられた。
なんですか?と顔を向けると、相変わらず向こうを向いたままの先生が、躊躇いがちに、こう、紡ぐ。
「その格好‥‥よく似合っている。」
一瞬何を言われたのか分からずに「え」と聞き返してしまう。
似合ってる?
今似合ってるって言ったの?
いや、黒猫のコスプレが似合うと言われても微妙だけど、それでも似合うと誉めて貰えるのは嬉しい。
でもそれなら、と私は身を乗り出した。
「なんで、見てくれないんですか?」
「‥‥」
問いかけに、先生はぴくんと肩を震わせた。
その、と、言いよどむ声が聞こえて、たっぷりと迷うみたいな沈黙が落ちる。
「先生。」
私はそのたっぷりを待ってから、もう一度だけ促すように呼んだ。
すると、先生は漸くこちらを見てくれて、
でも、向いた顔はなんでか赤くて、
その瞳はすごく熱っぽくて、
その熱が伝染したかのように私の身体が一瞬にして火照って、
あれ?なんで?これ、なに?
と戸惑う事も出来ず、ただ、魅入られたようにその瞳を見つめ返した。
「俺が‥‥男として、」
と告げる声が吐息に変わる。
「下心を持って、おまえを見てしまうから」
だから、直視が出来ないのだ。
告げる彼の、とんでもなく色っぽいその眼差しは、まるで別人かと思うほどやらしく、見えた。
そっちこそ。
なんてやらしい顔で見るんだ。
私たちの視線はばちりと絡み合ったまま、外すことは出来ない。
まるで、縫い止められてしまったかのように、お互いにお互いの瞳をじっと覗き込んだまま、永遠に続くかと思うくらい
に、見つめ合って、
ふいに、
動いたのは先生。
腕を伸ばして私の頬を、包む。
その大きさと熱さに、どきりとして瞳が歪む。
その時の私がどんな顔をしていたか‥‥なんて鏡がないので分からない。
ただ、色っぽい先生の顔が驚きに変わるような、顔、をしていたのは確か。
彼はやがて、囁くように問いかけた。
「菓子はいらない。その代わりに‥‥」
突然なんだろうと視線を上げればすぐ近くに、熱っぽい、彼の、瞳。
それにしかと覗き込まれて、
「悪戯を、しても良いだろうか?」
悪戯なんてごめんだと思ったのに、私の口から漏れたのはただ甘い吐息だけだった。
斎藤先生のスーツが着てえ(真顔)
先生という事で、生徒同士よりも奥手
になると思います(笑)
タガが切れたら大変な事になりますが!
Happy Halloween2010(2010.10.31)
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