と知り合って、もう10年以上が経つ。

多分幹部の中で彼女と共に過ごした時間が長いのは‥‥土方だろう。

彼女が副長助勤という任についていたから当然だ。

だが、誰より長い時間一緒にいながら‥‥土方がを『女』と思った事は、ほとんどなかった。

彼女が『男』として振る舞っていたからだ。

そして彼女も自分を『男』として見ていた事などなかったはずだ。

互いにその必要がなかった。

だって、は仲間だ。

共に同じ場所を目指す仲間。

だから、お互いに必要なのは『共に戦う仲間』だったはず。

 

――それだけのはずだった。

 

 

さん、随分と柔らかくなられましたね。」

島田の言葉に土方はうっかり茶を噴き出しそうになった。

それを辛うじて堪えた為に、変な所に茶が入って目に涙が浮かんだ。

けほと小さく噎せ返り、なんだってと訊ねれば、島田はにこにこと笑顔で続けた。

「前よりもずっと人当たりがよくなったと思いませんか?」

なんだ、人柄の事かよ、と拍子抜けした。

もしここに沖田あたりがいたら「何を想像したんですか?」としつこく聞かれたに違いない。

土方は別に邪推なんぞしていないといもしない人間に言い訳をして、こほんと咳払いをするとそうだなと同意を示した。

「人当たりが良くなったっつーか‥‥あんまり人と距離を取らなくなったな。」

は昔から愛想が良く、懐かれる事が多かった。

だが、彼女自身は分厚い壁を他人との間に築いており、あまり本心を見せる事がなかった。

常に顔に着けているのは笑顔の仮面で‥‥少しばかり深く付き合った人間には、その違和感に気付いた事だろう。

踏み込みもしなければ踏み込ませもしない。

他人は他人で自分は自分。

 

は極端に、他人に対して興味がなかったのだ。

 

それがここ最近になって、変わってきた気がする。

 

他人にも少しずつ興味を示し始め、少しずつ自分の姿を見せるようになってきた。

壁がなくなれば人は親しみやすい。

親しくなれば彼女の人柄というものはよく見えてくる。

重厚な鎧を脱ぎ捨てた彼女は‥‥どこか柔らかい印象を与えた。

 

「女性は変わりますね。」

 

さすが、と呟いた言葉に、そうか?と言いかけ、

 

「‥‥おい、ちょっと待て‥‥」

 

違和感に気付いて彼は眉間に皺を寄せた。

 

今、彼はなんと言っただろう。

 

「‥‥が、女だって?」

 

知っているのかと問えば、島田ははいと答えた。

 

宇都宮城で負傷した土方を運び出した時に少し、と濁す彼にそういえばと思い出す。

あまりどころかものすごく嫌な記憶に険悪な顔になるが、それに島田は気付かない。

 

「女性は‥‥変わるものですね。」

 

何故か照れたように呟く島田に、土方は更に眉間の皺を濃くした。

 

 

――と知り合って、10年以上になる――

誰より近いところで見ていた彼だが、残念ながら、彼女から女性らしさを感じた事は‥‥あまりない。

いや、きっとほとんどない。

男ばかり、荒くれ者の中で育ってきた彼女は言葉遣いこそ悪くはないが‥‥良くもないけれど‥‥がさつで、行儀だって

悪い。

座るときも胡座だし、よくよく足で襖を開けたりする。

料理をさせれば食べられればいいのだと材料などはほとんど丸々一個ぶちこむし、裁縫をさせれば指を刺す方が上手

である。

針よりも刀の方が扱いやすいと笑って、戦いが始まれば誰よりも早くすっ飛んでいくような女だ。

 

そんな彼女に女らしさ?

微塵も感じるわけがないじゃないか。

 

土方はそう思うのだ。

でも、

世間の反応は違った。

 

 

繊細だ。

優雅。

穏やかだ。

柔らかくなった。

皆口々に好き勝手に言う。

同意しても構わない事もあるが、反論してやりたい事の方が多かった。

 

そして、

誰も彼もが最後に何故か照れたようにこう言う。

 

時折が見せる瞳には、

 

――微かな甘さ――

 

が混じるという事。

 

甘く、どこか艶めいた琥珀に、どこか、

 

女らしさを感じると。

 

 

どこが――

 

 

土方は一蹴する。

 

の何が甘いというのだろう。

かわいげの欠片もない女である。

沖田と並ぶくらいの獰猛さを持っている獣だ。

そんな彼女が女らしい、だって?

目を覚ませ。

彼らが見ているのは幻だ。

本当の彼女からはそんなもの微塵も感じないだろう?

 

しかし、彼と同調するものは少なかった。

中にはに想いを寄せている隊士もいるというのだから――

 

「揃いも揃って趣味の悪ぃ‥‥」

 

男は吐き捨てるようにそんな事を呟いた。

「なにか?」

独り言に、斎藤が顔を上げる。

彼が傍にいるのを忘れていた。

「いや、なんでも‥‥」

軽く手を振り、先ほどまで考えていた事を追い払う。

そういえばそんな事を考えている状況ではなかった。

 

「そっちはどうなってる?」

戦況はどうかと訊ねれば、斎藤はあまり芳しくない表情を見せた。

やはり、苦戦を強いられているらしい。

「今はまだ、防げている状況ですが‥‥」

「長くは保たない‥‥か。」

土方は溜息を吐いた。

新政府軍が白河を落とすのは時間の問題だろう。

そして一気に会津まで攻めてくる。

大きな戦力を失う前に、どうにかする必要があった。

 

「仙台へ向かう、か‥‥」

 

東北諸藩の精鋭が仙台で待っているはずだ。

仙台で、再起を賭けるか。

 

「‥‥」

斎藤は何か言いたげな視線を送った。

それに気付いて、何だと訊ねる。

「いえ‥‥なにも‥‥」

しかし、彼は何でもないと首を振った。

どこか迷っているような表情に更に言及しようとした時、ふいに、遠くから声が聞こえた。

 

「山口さん、足下!」

 

良く通るその声は‥‥のものだった。

 

そして、

 

「うわわわわ!?」

 

とどこか間抜けな声は、山口のもの。

 

続いて、どさりと何かが倒れる音が庭から聞こえてきた。

 

「‥‥なんだ?」

土方はうるさそうな顔で立ち上がり、縁側へと出る。

そこから面した中庭を見れば、あちこちに人の姿がちらほらと見え‥‥

 

「‥‥」

 

そこに、と山口の姿もあった。

何をしているのだろう。

薬箱を抱えているの前で、山口が盛大にすっ転んでいる。

あちゃあ、と顔を顰めると、その横で驚いた顔をしている平隊士の姿があった。

 

今日も彼の手伝いをしているようだ。

 

「‥‥足下、でこぼこしてるから危ないって言おうとしたんですけど‥‥」

間に合いませんでしたねぇ、とのんびりとは言う。

したたかに顔を打ったらしい山口はいたたと言いながら鼻を手で押さえてむくりと身体を起こした。

「い、いや、私が前方不注意だったようで‥‥」

足下には確かにでっぱりがあった‥‥が、蹴躓く事はあっても見事にすっ転ぶほどのものではない。

なるほど、噂通り‥‥山口という男はどこか抜けているらしい。

医者としては申し分ないのだけど、それ以外の所が抜けていて‥‥見ているこちらを少しばかりはらはらさせる所が

あった。

憎めない男である。

 

「大丈夫ですか?」

がくすくすと微苦笑を漏らしながら手を差し出す。

「‥‥ああ、すいません。」

これは面目ないとどこか恥ずかしそうに後ろ頭を掻きながら彼はの手を取り、立ち上がる。

ぺしぺしと着物の埃をたたき落とす男を見上げながら、は井上とはこういう所は違うなぁと思った。

確かに井上はのんびりとした性格をしてはいるが、彼は歴とした武人だ。

こんな所で盛大に転んだりはしないだろう。

むしろ、それに先に気付いて、

、足下に気を付けた方がいい』

などと注意を促してくれるに違いない。

彼と井上は違う人‥‥違うけれど‥‥

 

「‥‥あはは‥‥」

彼の柔和な笑みは似ている。

どこか憎めない、暖かい所がやっぱり似ている。

 

『彼』に吊られて笑うように‥‥はそっと笑った。

柔らかい笑みを向けられ、山口は照れたような笑みを浮かべる。

 

「それじゃ、次の怪我人の所に行きましょうか。」

「そうですね。」

 

促すの後をゆっくりと山口がついていく。

小さな背中だなぁと彼は思った。

その男の横顔に、

 

――

 

土方は瞳を鋭くする。

何かを探るかのような眼差しだった。

 

山口がを見る表情は‥‥ひどく優しかった。

だが、それは親が子供を見るものでも、親しい友を見る目でもない。

微かに滲む、激情にも似た熱の色。

 

それは、

男が女に向けるそれだ。

 

男が‥‥好きな女に向ける‥‥恋慕の色。

 

「気付いたか‥‥」

 

彼は医者だ。

きっと骨格やら筋肉のつきかたやらで、彼女が女だと気付いたに違いない。

気付いて‥‥そして、

 

彼女に――想いを寄せるようになった。

 

彼は趣味が悪い男の一人、ということだ。

土方は顔を顰めたが、

「まあ‥‥顔だけはいいからな。」

彼女は元々綺麗な顔立ちをしている。

京で男装をしていた時から、男女問わず、彼女は人気があった。

女だと気付いて、なおかつずっと一緒にいれば、その美しさに男として惹かれていってもおかしくはない。

 

そういえば‥‥

 

と思い出す。

 

最近は自分といるよりも山口といる方が多い気がする。

 

以前暴れた羅刹の事を気にしているのかもしれないが、それならば別に昼も彼に付き従う必要などない。

夜だけ注意をしてやればいいのだけど、彼女は暇があると彼と共にいた。

彼を守っているのかもしれないが、それにしては親しすぎる気がするのだ。

 

「だから、山口さん足下っ」

 

危ないと言って彼女は笑う。

その笑顔は‥‥他の隊士に向けるそれとは違った。

無邪気で、優しい笑顔だ。

 

そんな笑顔を見せる位、気を許しているということは、

もしかしたら。

彼女自身も‥‥気があるのかもしれない。

彼に。

 

ちり――

 

「気になりますか?」

 

胸の奥でそんな嫌な音を立てたのに気付いた瞬間、ふいに声が掛けられた。

斎藤だった。

彼も土方から一歩引いた所でその様子を見ている。

気付かない内に、眉間に濃い皺が刻まれていた。

どう見ても‥‥面白くないと言った顔だ。

 

土方はまるで自棄にでもなったかのように視線をべりと引きはがす。

 

「別に。」

と、短く言い、

「あいつが誰を想おうが関係ねえよ。」

それが任務に支障を来す、というのならば問題だけれど、そうでないなら構わないと告げた。

「一応あれでも歴とした女だ、好きな男の一人や二人‥‥いねえのがおかしい。」

今まで色恋沙汰にまったく興味がなかったのがおかしいのだ。

あのくらいの年頃ならば、好きな男がいて、その男の為に綺麗に着飾るのが当たり前、である。

ああそうか‥‥

好きな男が出来たから――自分にはさっぱり分からないが――「女」らしくなったのだろうか。

 

良かったじゃねえかと彼は呟いた。

 

「じゃじゃ馬のもらい手が出来て‥‥」

 

幸いな事にあの男も彼女に気があるようである。

良かったじゃねえか。

と男はもう一度笑った。

だが笑った瞬間、胸の奥がもやっとした。

なんとなく‥‥すっきりしない。

眉を寄せて首を捻れば、斎藤は申し訳なさそうに口を開いた。

「いえ‥‥俺は‥‥」

見れば彼は少しばかり困惑したような表情を浮かべており、

 

「俺は‥‥山口の方が気になるのかと。」

 

――彼の素性が気になるのか?

――彼の行動が、考えが気になるのか?

 

と訊ねたつもりだった。

が彼をどうこう‥‥などと言ったつもりではない。

そう、

言われて、

 

「‥‥」

 

土方は思わず口を噤んだ。

それから苦い顔で、

 

「さっきのは‥‥忘れろ。」

 

と命じた。

 

根本的に、彼らが見ていた人物は違った。

斎藤は、山口を。

そして土方は‥‥山口を通して、彼女を見ていたのだ。

 

――――

 

命じられた斎藤は困惑の表情を、僅かな笑みに変え、

 

「‥‥やはり、の事が気になりますか?」

 

と訊ねる。

 

今度ははっきりと、

彼女の事が気になるのかと。

 

彼女が女として誰を想っているのか――気になるかと。

 

――まさか?

 

土方ははっと笑った。

 

「なんで俺が気にする必要がある?」

 

自分は保護者ではない。

彼女とは上司と部下であり、それ以上でもそれ以下でもない。

の人生はが決めるべきなのだ。

好いた男と共にいたいのであれば‥‥そうすればいい。

 

「勝手にすればいいだろ。」

 

彼は言った。

 

「俺には関係の無い事だ――

 

 

その言葉は、

誰への言い訳だったのだろう?