我が輩は猫である。
名はまだ無い――

「嘘吐け! 刹那って名前があるじゃねえか!!」

ちょっと土方さん、黙っててくれます?
‥‥気を取り直して、私の名前は刹那。
得意なのは暗殺、苦手な物は料理と裁縫。
泣く子も黙る鬼の副長の懐刀である私の身体に突然、茶色い猫耳と尻尾が生えたのは数日前の事。
我が組一番の危険人物、山南敬助の暇つぶしとか言うふざけた理由で何故か私が犠牲者になり(因みに数日前は兎だった)、私は目下、半分猫というこれまたふざけた日々を送っている。

「この間言われた扇屋なんですけど。どうやら、妻のおさえが噛んでるみたいですね」
夫である一郎は長州の浪士達との関係はないものの、彼の妻が手引きしている姿を何度か見た。
恐らく、妻は黒で、夫は白だろう。
「私が前に見た限りだと浪士は五人」
後は、ちょっと分からない。
潜り込んでみないと、だ。
「とりあえず引き続き山崎さんには監視をお願いしてますけど‥‥」
「前から思ってたんだけどよ」
唐突、割り込んできた声に、私は不思議な顔をして口を噤む。
顔を上げれば彼は難しい顔をして私を見ていて、鼻の頭にさえ皺を刻んで、
「おまえ、なんで普通に喋るんだ?」
「‥‥は?」
意味が分からなくて私が突っ込んだのは、当然の事。
なに、その、普通に喋るって‥‥
今度は逆に私が難しい顔で問い返せば、土方さんは真剣な顔で、言い放った。
「猫なら、普通は、にゃあって鳴くもんだろうが」





私はそっと、哀れむような眼差しを彼に向けた。
「土方さん、お疲れなんですね」
「ってこら、てめえなんだその顔は‥‥」
馬鹿にしてんのか? と言いたげな凶悪な顔を向けられ、私はだって、と唇を尖らせた。
人が真面目に報告してるのに突然「猫っぽくない喋り方云々」とか言われたら、この人の頭が沸いちゃってるとしか思えないじゃないか。
「だってそうだろ?」
だが、彼は疑問に思うのは当たり前だ、とこう言うのである。
「おまえが猫になったってんなら、喋り方も猫っぽくなるんじゃねえの?」
「いやいや、猫の耳と尻尾が生えただけで私は猫になったつもりはありませんが‥‥」
というか、なりたくてなったわけじゃないので、そんな乗り気でもありませんし。猫になりきるつもりも毛頭‥‥
そこまで考え、私はふと、思いついたので聞いてみた。
「なに? わたしに「にゃあ」とか言って欲しいの?」
個人的には「違う」と全否定してほしい所だった。
だってまさか鬼の副長が女の子に「にゃあ」なんて言わせる趣味があるなんて思いたくなかったから。
でも、
「‥‥」
難しい顔をして黙り込んでしまう彼に、私は思わず目眩がしそうだ。
この人、今、考えてるよ。
いや、きっと想像してるんだ。
人が「にゃあ」とか鳴いてる姿を。
「だ、だめだめだめ!!」
自分で考えて恐ろしくなって、私は彼の行動を遮る。
「そんなおぞましい事を考えちゃ駄目です!」
私が「にゃ」なんて言ってる姿は悪夢でしかない。人の想像だとは分かっていても、そんなもん考えて欲しくない!
けど、土方さんは邪魔をされて不機嫌そうな顔になる。
「邪魔すんじゃねえよ。今、ちっと面白えとこなんだからよ」
「面白いってなんですか!? ってか勝手に変な想像しないでくださいよ!」
「変な‥‥って人聞きの悪い事を言うんじゃねえよ! 俺はただおまえに猫みてえな喋り方をだな‥‥」
「痛い! 痛いっ、それ!!」
もう目も当てられないくらい、痛くて、私は絶叫するんだけど、土方さんは自分が「痛い」と言われた気分になったらしく、ますます不機嫌そうな顔になって、
「てめ‥‥」
低く唸るような声で言い、彼は組んでいた腕を解いて振り上げた。
いや、殴りたいのは私の方だし!
と、私はぐちゃぐちゃになった頭の中で叫ぶけれど、その手は私の頭に振り落とされる事はなく、ただ‥‥


「ひ、土方‥‥さっ、や、やだぁっ」
「こら、喋り方間違ってんぞ」
「ひぅっ‥‥ひ、あ、や、だめだめっ」
「喋り方」
ぴしゃりと突きつけられる言葉に、私は屈辱のあまりに唇を噛みしめ、そして、
「にゃ、にゃ、ぁっ」
猫のように、鳴く。
それが嬉しいのか、背後でくつりと土方さんは笑い、
「あ、やっ、だめっ、だめ、うごい‥‥ちゃっ‥‥」
「おら、また戻ってる」
ぶつりと何かが振り切れてしまいそうな大きな波に、私は畳に爪を立てながら喚いた。
「にゃ、にゃあっ、にゃ、ぁ、ふあ‥‥」
もう、自分が何を言っているのか分からない。
ただ、意味の分からない猫らしい声で喚く私を見て、彼はひどくひどく満足そうに、

「猫は、そう鳴くべきだな」

なんて呟いた。


『にゃあ』


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−



我が輩は猫である。
名はまだ無い――

「おーい、刹那ぁ。魚焼けたぞー」

にゃああっ! 今行きます、左之さん!!
と言う事で、私の名前は刹那。
得意なのは暗殺、苦手な物は料理と裁縫。
泣く子も黙る鬼の副長の懐刀である私の身体に突然、茶色い猫耳と尻尾が生えたのは数日前の事。
我が組一番の危険人物、山南敬助の暇つぶしとか言うふざけた理由で何故か私が犠牲者になり(因みに数日前は兎だった)、私は目下、半分猫というこれまたふざけた日々を送っている。

「魚うまー」
ふざけているけれど、魚は美味い。
猫になったおかげで、更に美味しく感じられる気がする。そこは有り難い。
「そっかそっか」
そんな私を見て、左之さんは良かったなと優しく笑う。
そうして自分の分の鮎にぱくり、と豪快にかぶりついた。鮎はやはり塩焼き! 塩焼き美味い!
「明日は、鯖でも買ってくっか?」
「鯖っ! 鯖は味噌煮ですよね!」
「味噌煮でもなんでも、おまえの好きなようにしてやるから」
「うわー、左之さん好きーっ!!」
がばっと抱きつきながら、鮎は決して手放さない。
多分私が猫化して、一番株を上げたのは左之さんだ。毎日のように美味しい魚を持ってきては食べさせてくれる。
もともと左之さんの株は他の誰よりもうんと高いんだけどね!
「‥‥?」
ふと、左之さんが上機嫌で魚を頬張る私の何かに気付いて動きを止める。
「どうかしました?」
一拍遅れて、何かありましたか? と訊ねれば、彼は無言の内に、手を伸ばして、

「にぎゃっ!?」





元々なかったはずのものなのに、その茶色い物体には神経が通っているらしかった。
身体をびりびりっと痺れが走り、私は思わず短い悲鳴というか、よく分からない声を上げて飛び上がった。
大きく飛びすさって距離を取るとぶわっと尻尾を膨らませる。
どうやらこれは感情と繋がっている所があるらしく、驚くと‥‥膨らむ。怒っても、膨らむ。
そんな私を左之さんは驚いたような顔で見ていた。因みにその手は何かを握ったような形で止まっている。が、その手の中には何もない。何故ならその手の中にあったものは、逃げてしまったから。
「ししししし、尻尾掴んだ!!」
「わ、悪い。痛かったか?」
痛かったか? と聞かれると違う。痛くはない。
なんだろう、これ。
元々これは私の身体の一部じゃなかったはずなのに、何故だろう。尻尾を掴まれてぞわぞわとしたものが込み上げてくる。むず痒いような、もどかしいような、よく分からない何かが。
ただそれは、尻尾を掴まれるのが弱い‥‥というのを私に教えてくれている。
「‥‥もしかして‥‥」
そんな私の様子に気付いたのか、左之さんはちょっとだけ意地の悪い顔をしてみせた。
「弱い、とか?」
「ち、ちがっ」
ぶんっと頭を勢いよく左右に振るけど、多分ばればれだ。
左之さんは嫌がらせをするように近付いては来ないけど、へえ、ふーんとかしきりに納得したように呟きを漏らしている。
なんだか、そんな所が弱いっていうのがすっごく恥ずかしくて、居たたまれない。
「ち、違うんですからね! 別に弱いとか、そういうんじゃなくっ」
「まあ、いいじゃねえか。猫って尻尾触ると怒るし、そういうもんなんだろ?」
「いや、だから、私は怒ってるわけじゃなくて!」
「わかったわかった。なんでもねえんだな‥‥分かったから、冷めねえうちに、魚食っちまえ‥‥」
「あ」
言葉に気がつくと、庭にぺそりと食べかけの鮎が落ちている。
「ああ! 鮎がっ!!」
慌ててそれを拾い上げたけど、もう駄目だ。土がべったりとついてしまっている。
折角、左之さんが私のために釣ってきてくれたのに‥‥
「す、みませ‥‥」
申し訳ないのと。半分しか食べられなかった無念さもあって私はがくりと肩を落として落ち込んだ。
「いや、俺が脅かしたのも悪かったんだ。おまえが悪いわけじゃねえよ」
そんな私の頭をぽんぽんと撫で、それから食べかけの自分の鮎を見て、
「良かったら‥‥食うか?」
ぴん、と耳と尻尾が立つ。
思わず飛びつきかけたのは、きっと猫になったせいだ、私のせいじゃない。
「‥‥良いんですか?」
でも悪いような気がしてちろっと見上げれば、左之さんは苦笑で構わないと言ってくれた。
「俺の食いかけ、で良ければだけどな」
「喜んで!」
差し出され、私はぱくりとかぶりつく。
じわっと塩と鮎の絶妙な旨味が口の中に広がり、思わず、恍惚‥‥とした表情になってしまう。
そんな私を見て、左之さんは小さく、一言。

「や‥‥なんつーか、嫌がられてんだか甘えられてんだか、どっちなんだろうなあ」

彼の逞しい腕にくるりと自分の尻尾が絡みついていた、というのは私の知らない事だ。


ふわふわ尻尾


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我が輩は猫である。
名はまだ無い――

「前振りはいいよ、どうせ三回目なんだし、早く先にいこうよ」

そ、総司君。君は本当に段取りと言うものをぶち壊してくれるね。
気を取り直して‥‥私の名前は刹那。
得意なのは暗殺、苦手な物は料理と裁縫。
泣く子も黙る鬼の副長の懐刀である私の身体に突然、茶色い猫耳と尻尾が生えたのは数日前の事。
我が組一番の危険人物、山南敬助の暇つぶしとか言うふざけた理由で何故か私が犠牲者になり(因みに数日前は兎だった)、私は目下、半分猫というこれまたふざけた日々を送っている。

「そういえば猫の舌って‥‥ざらざらしてるんだよね」
本物の猫と戯れながら、総司がぽつんと呟いた。
確か、鑢の役目を担っているんだっけ? 肉をこそげ落とすために、とか前に聞いたような気がする。
「あれ、くすぐったいよねぇ」
「そう、だな」
総司の言いたい事が分からなくて首を捻ってとりあえず同意だけを示すと、そいつは、にこにこと笑顔のままでこんな事を聞いてきた。
「刹那の舌も、ざらざらしてるの?」
「‥‥はい?」
「猫になったんだから、ざらざらしてるんだよね? きっと」
だからなんだ、と言いたくなるような言葉は、だけど聞き返してはいけない事を私は知っている。
聞けば恐らく待ち受けるのはとんでもない地獄。
でも、
「ちょっと、確認させてくれるかな?」
聞かなくても、地獄を見せられる羽目になるとは‥‥思わなかった。





「んっ、ふっ、うぅっ」
苦しさで、私は喘ぐ。
気付くと目の前が涙でかすんでいて、その歪む視界にそいつの小憎たらしい顔が映っている。
「あ、やっぱり、ざらざらしてるね」
くすくすと笑いながら、その感触を確かめるように指先が蠢く。
口の中を好き勝手に動き回るその指の腹が、私の舌の表面を何度も何度もしつこく撫でた。
私は苦しくて押し返すけれど、そうすれば爪を立てられ表面を削るように擦られる。
ぞっとするような痺れが私の背骨を走っていった。
「や、そ‥‥っ」
閉ざす事が出来ない私の口の端から、だらだらと唾液が零れる。
嫌ならば逃げれば良いんだろうけど、なんでかな、私は逃げ出す事が出来ず、苦しいと喘ぎながら、それでも舌を舐り続けるしかない。
「可愛いね、刹那」
恍惚とした表情で、総司は言った。
その瞳に残忍さを湛えながら。
「や‥‥も、や、らぁ‥‥‥」
んく、と飲み込んだ唾液に微かに混じる汗の味。
それがぞわりと身体を熱くし、私は更に、総司の指の模様さえもこそぎ取ってしまうほど指を舐った。
「美味しいの? 僕の指」
私は軽く首を振った。
でも、止まらない。
総司の指も、止まらない。
気持ち悪くないのかと訊ねたかった。
私に、散々指を舐められて気持ち悪くないのかと。
そうしたら、総司はにこりと艶っぽく笑って教えてくれた。
「刹那の舌‥‥とっても気持ちいいよ」
言葉にじわりと滲む別の色。
歪んだ視界にめいっぱい、総司が迫って‥‥それから‥‥それから‥‥


「いや、本当にざらざらしてたね」
「‥‥」
「そういえば肉をこそげ落とすために、ああなってるんだっけ?」
「‥‥‥」
「もしかして、小さくなったりしちゃうのかな?」
「なんの確認だ! なんの!!」


ざらざらする舌


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我が輩は猫である。
名はまだ無い――

と言うのは冗談で、私の名前は刹那。
得意なのは暗殺、苦手な物は料理と裁縫。
泣く子も黙る鬼の副長の懐刀である私の身体に突然、茶色い猫耳と尻尾が生えたのは数日前の事。
我が組一番の危険人物、山南敬助の暇つぶしとか言うふざけた理由で何故か私が犠牲者になり(因みに数日前は兎だった)、私は目下、半分猫というこれまたふざけた日々を送っている。
「‥‥」
って、本当はここで突っ込んでくれるはずなんだけど‥‥って、あれ? 一?
おまえ、なに凍り付いてんの?
「せ、刹那‥‥」
一は何故か、恐ろしいくらいに真剣な顔で私に声を掛けてきた。
そりゃもう鬼気迫るみたいな顔で、私は思わず構える。
「なにかあったか?」
あたりの物音を聞き逃すまいとぴこぴこと耳が忙しなく動いているのが分かった。
ちょっと落ち着け、自分の耳。
動く度に一の視線が右へ左へと揺れるのが分かって、私は「はじめ」と強く名を呼ぶ。
「で? どうした?」
何があった? と再度訊ねれば、彼は私の顔を見てごくりと喉を鳴らした。
そうして、
「不躾ながら、頼みがある」
と前置きをする。
私は首を捻り、どんな? と続けて問うた。
一はもう一度喉を震わせ、息を嚥下すると、僅かに引きつったような声で、こう言った。

「あんたの耳を、触らせてくれぬか?」

真剣な顔で、こいつ、何を言うんだろうか? と私は本気で思った。





「断る」
ざっくりと、あっさりと、きっぱりと、私は言い切った。
何を断るか? と言うと、彼の申し出だ。
『耳を触らせてくれ』
という。
だってなんとなく、身の危険を感じたからだ。
「‥‥そう、か‥‥」
するとさっきまでの異様な真剣さからは想像できないほど気落ちした様子で一は項垂れてしまう。
そこまで落ち込む事か? って突っ込みたいくらいの落ち込みようだ。
きっとこいつの頭に耳がついていたら、情けなく垂れ下がっている事だろう。想像するとちょっと可愛いぞ。
「‥‥仕方ないなぁ」
それがあんまり可愛い‥‥もとい、可哀想なもので、私は不承不承という感じで溜息を零す。
「ちょっとだけだぞ」
何故だろう。
一がこれ以上ないくらい嬉しそうな顔をした。
そういえば一って、猫とか可愛いものが好きだったんだな、と今更のように思いだす。
「で、では、行くぞ」
そうして一は私の前に座り直すと、宣言し、手を伸ばす。
気のせいか彼の手は震えている。
恐る恐る、と言いたげに伸ばされる手は、なんていうかもどかしい。
とっとと触って終わらせてくれ。
私は忙しいんだ。
「はじめー、早くしろってば」
「わ、分かっている!」
急かすなと言いたげな強ばった声にやれやれと肩を竦め、待つ事数拍。でも、一向に耳に触れた感触はない。
「ちょっと、はじめ?」
いい加減座ってるのも飽きてきたんだけど? と顔を上げて、私は見てしまった。
一の、異様なくらい真剣な顔。
それで一心に見つめているのは私の、頭についている、三角の、み・み‥‥

私は一の顔を見た瞬間、悟った。

殺られる――

「ふぎゃぁああああ!!」
ぞわりと背筋を恐ろしいものが駆け上がり、私は声を上げて飛び上がる。
突然の行動に一はぎくりと大きく肩を震わせ何事かと目を丸くさせ、
「やややや、やっぱり触るな!」
私はこう言って耳を庇うように手で隠すと彼の丸い瞳がすい、と不機嫌そうなそれへと変わった。
「何故だ? あんたは先ほど触れてもいいと承諾したはずだ」
「承諾はした! けど、なんかおまえ、やばい!」
「それはどういう意味だ?」
「わかんないけど、やばいんだよ! 身の危険を感じる!」
「大仰な。俺はただ耳に触れさせてくれと言っているだけで‥‥」
「猫耳なら、本物の猫の耳を触ればいいだろうが!」
「俺は別に猫の耳に触れたいと言うのではなく、あんたの耳に触れたいと言っているわけで‥‥」

「っていうか‥‥一君。あんまり大きな声で言わない方がいいと思うよ、その台詞」

大声で喚き合う私たちの間に突然飛び込んでくる声。
驚いて振り返ればそこにいつの間にやって来たのか総司の姿があって‥‥奴はにこりと笑顔のまま言った。

「なんていうか、一君がただの変態って事を暴露してるみたいで、聞いてて居たたまれないから」

一がそう言われてどんな顔をしたか、まあ、言うまでもない。


三角耳


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我が輩は猫である。
名はまだ無い――

と言うやりとりも若干飽きてきた。私の名前は刹那。
得意なのは暗殺、苦手な物は料理と裁縫。
泣く子も黙る鬼の副長の懐刀である私の身体に突然、茶色い猫耳と尻尾が生えたのは数日前の事。
我が組一番の危険人物、山南敬助の暇つぶしとか言うふざけた理由で何故か私が犠牲者になり(因みに数日前は兎だった)、私は目下、半分猫というこれまたふざけた日々を、送って、
送ってるんだにゃー

「って、うおぁ!? 刹那! おまえ何してんだ!?」

ふわふわした気分の私の耳に飛び込んできたのは、平助の声。
気怠くてゆったりと顔を上げれば、歪む視界にやっぱり平助の顔が、あって、

なにって‥‥別に何もしてないつもりなんだけど、と言いかけた私は何故か、

「うわぁああ?!」

平助に思い切り飛びかかっていた。
飛びついた瞬間にふわりと香る独特なにおいに、私の思考は甘く溶けた。





ぐるぐると自分の喉が不自然に鳴っている。
それは不思議な事に気持ちが良くて、私は更にぐるぐると喉を鳴らしながらぐにゃぐにゃと歪む世界で何かに縋ろうとした。
と、目の前に温もりと脳髄まで麻痺させてくれる何かがあって、私はすりつく。
鼻先を押しつければ鼻腔を苦く甘い香りが満たし、私の神経を心地よくとろけさせた。
もっとと押しつければ目の前の何かが逃げるように揺れる。
だから、私は動くなと言う風に獰猛な色で睨み、爪を立てて押さえつけた。
「っ!?」
と、頭上で息を飲む音が聞こえる。
それが何かを確かめる事は出来ない。
私はただ、目の前にあるそれが動かなくなった事で気をよくするばかりだ。
このふわふわと頼りないのに不安ではなく心地よくなるなんとも言えない感覚はあれだ、酩酊感に似ている。
私お酒なんか飲んでたっけ?
いやちがう。私は平助の部屋に来て‥‥平助の部屋でなんか不思議なにおいを感じて、
それで、
それで、
「お、おい、刹那?」
「‥‥にゃぁ‥‥」
「刹那?」
「にゃー」
「せ‥‥」
「‥‥なー‥‥」
声は、やがて聞こえなくなった。
その代わりに、恐る恐る、私の背中を撫でるものがあって、それがまた更に気持ちよくてくるると喉を鳴らしながら甘えるようにすりついた。

「なんだよ‥‥そんな風にされると、可愛いって思っちゃうじゃんよ‥‥」

すりすりと、
柔らかくて滑らかな何かにすりよって、
すりよって、
すり、よって、

――がじ、

「ってぇ!?」

噛んだ。
大きな声が降ってくる。それは何かを訴えるような声だけど、私にはどうでも良かった。
とりあえず、気持ちよくて気持ちよくて、噛みたくなったから噛んだ。
遠慮無く。
「い、いてぇ! いてえって! 刹那!!」
うるさい声が、降ってきた。また、私の下のそれが暴れたので、私は更に歯を立ててやった。
「いっ!?」
悲鳴みたいな声が上がった。
それからもしばらく私の下の獲物は暴れ続けたけれど、私はその度に歯や爪を立ててやって‥‥気がつくと、意識はどこぞへすっ飛んでいた。

翌日、
何故か身体を歯形と爪痕だらけにした平助が、左之さんにこう言われているのを聞いた。

「だから、木天蓼は止めとけって言っただろ」


木天蓼


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「ということで、今回の下着のコンセプトはこちらとなっております」
会議室にずらりと並ぶ幹部達を前に、山崎はホワイトボードに一枚のラフ画を貼り付ける。
本来インテリアに携わるはずのその会社で数日前に、突発的に山南取締役から女性用下着の開発を手がけるようにとの命を受け、一同はそれに奔走することとなり、この度出来上がったのが一つの作品。
繊細且つ、大胆で、それでいて妖しさを伺わせるという微妙にバランスが取れているのか取れていないのか、ただ、そのラフ画を見た瞬間に
「これはいい」
と男心を擽るものがあり、幹部連中は真剣な顔で一つ、頷いた。
「よし、そいつで決まりだ」
土方の一声にほっと山崎は胸を撫で下ろす。
「それでは、来月に行われるパーティーではこちらの商品と、他数点をお披露目するという形でよろしいでしょうか?」
「ああ。準備を頼む」
「わかりました」
山崎は答え、それで一つ問題が、と口を開く。
「この商品を当日着てもらうモデルですが‥‥」
どうしましょうか? と彼は訊ねた。
何度も言うが元々はインテリアに携わる会社なので、勿論モデルというものは存在しない。
商品は人がいなくても飾れるから。
だが、下着となればそう言うわけにもいかず、ここはやはり外部から誰かプロでも雇ってくるしかないのだろうか、だとしたら企画部の上である土方に了承を得なければならない。
とりあえず、すぐに了承を得られた際にすぐに提案できるよう、数軒のモデル事務所との連絡は取って置いたのだが‥‥
「必要ねえ」
土方は真剣な顔で、頭を振った。
まさかトルソーに着せるだけで陳列するというのだろうか?
それではその商品の良さというのは発揮できないのだが‥‥
と、山崎が些か顔色を変えた所、彼は緩く首を振ったまま、静かに、告げた。

「モデルは、雪村にやってもらう」

「ゆ、雪村って‥‥雪村刹那さんですか!?」
それには思わず、山崎は驚きの声を上げた。
雪村刹那というのは、モデルでも何でもない、企画部の新人の事である。
確かにモデル顔負けの美貌の持ち主ではあるが、それはどうだろう。
「いや、しかし、ここはやはりプロに任せた方が‥‥」
「僕は賛成」
控えめに異論を唱える山崎を遮り、口を開いたのは沖田だった。
「刹那ならきっと、ちゃんと着こなしてくれるよ」
「い、いや、しかし‥‥」
「そうと決まれば、サイズをきちんと合わせないとね」
いや、決まってない。勝手に決めるな、という山崎の心の中のツッコミに賛同してくれる人は何故かいない。
そればかりか、耳を疑いたくなるような言葉が飛び交う始末だ。
「刹那は、65のFだな」
「どうしてご存じなんですか、原田さん」
恥ずかしげもなく自信たっぷりに言ってのけたのは原田だ。
何故だろう、彼が言うとなんだか正しいような気がしてくる。さすが、歩く18禁。
見ただけで相手のスリーサイズが測れるというのは噂ではなかったのか。
「で、色はどうするんだ?」
「そりゃ勿論、白でしょ」
原田の言葉に沖田が答える。
何が勿論なんだ。何をもって勿論なのか、誰か教えてくれ。
頭痛のあまりに目眩までしてきそうで、山崎はこめかみを押さえながら真面目に話をしてくださいと絞り出すように声を上げる。
華麗にスルーされた。
「白の方が、汚したくなるでしょ?」

しらねえよ――

そんな沖田の趣味など聞いてない。
頼むから、誰かまともに会話が出来る人はいないのか?

「そんじゃ、白で行くとして‥‥足下は、腿までのストッキングでいいか?」
やはりどうかしてるとしか思えない土方の言葉に、それまで黙っていた藤堂が「ちょっと待ってくれよ」と真面目な声で制止を訴えた。
いつもはふざけているとしか思えないが、締めるときところは締めるのだな、と山崎が感動して軌道修正をしてくれるらしい彼に期待の眼差しを向け、

「ガーターベルトを忘れてるだろ」

撃沈した。
そりゃもう、がつっとホワイトボードに顔面強打したくなるほど。
そんなくそ真面目な顔で言う台詞だろうか?
いや違う。何かが違う。
何かがおかしい。
「ああそうだったな。そいつがなけりゃ、やっぱり映えねえよな」
苦笑で快諾した土方は、必要なものを紙に書き込んでいく。
ちょっと何を書いているのか見てみたい。
真面目にガーターベルトなんて文字が書き込まれていたらいかにイケメン部長と言えど、冷たい眼差しは免れないだろう。
いや、だから、そうじゃなくて!
「土方さん」
頭を抱える山崎になど気付かず、斎藤が静かに手を上げた。
山崎は彼が残っていたのだと思い出す。
この中での唯一の良心は彼だった。
そうだ、斎藤一はとても真面目でとても‥‥

「出来れば、チョーカーをつけてください」

変態だった。

とんでもなく、変態だった。
拘る場所があまりに変態くさくて、山崎は絶望したくなる。
唯一の良心であったはずの彼は真性の変態だったのだから。

「なるほど、そういや首の廻りが寂しいよな」
「いいじゃないですか、つけましょうよ、それ」
「首にって事は勿論手袋も必要だよな」
「あ、もちろん足下はピンヒールな!」
「無論だ。アンクレットも必要だ」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
なおもエスカレートする言い合いに、山崎はダメージを受けつつ立ち上がり、口を開く。
「どうして彼女に任せるんですか!?」
雪村君は素人であって、決してプロのモデルでもなく、自らやりたいと志願したわけでもないというのに、何故、そうやって皆で彼女に着せたがるというのだろう。

これに、土方がにやりと笑みを浮かべて、答えた。

「俺が見たいからに決まってんだろ――」

そんな自分勝手な理由で恥ずかしそうに人前に立たなければいけない彼女を思うと‥‥山崎は哀れでならなかった。


変態素敵な戦略会議