「表出ろ平助ぇ!」
「上等だよっ!今日こそぜってぇオレが勝ってやるからな!!」

晴天をも震わせるような怒声が屯所中に響く。
激しい怒りの籠もった声に何事かと千鶴は飛び出した。
ぱたぱたと廊下を走ると庭に面した縁側に人だかり。
その一人がこちらに気付いて「やあ」と手を挙げた。

「刹那さん!さっきの声は一体‥‥」
「んー?
ちょっとした喧嘩‥‥かな?」

喧嘩!?
と千鶴は驚いた声を上げて庭へと視線を向ける。
と、どういうことだろう、庭に出ている永倉と藤堂は‥‥その手に抜き身の刃を持っている。

「ちょ、ちょっと待ってください!
どうして喧嘩で真剣勝負なんですか!?」
ぎょっと青ざめる千鶴に刹那はけらけらと笑った。
「その方が思い切り喧嘩できるからじゃない?」
「で、でも真剣で斬り合いなんかしたら怪我をするじゃないですか!」
止めないと、と千鶴は言うけれど、それを制したのは楽しげに笑っている沖田だ。
「千鶴ちゃん‥‥下手に手を出したら君が斬られちゃうよ?」
死にたいの?
と意地悪く訊ねられて少女は「う」と呻いた。

確かに自分が出ていった所で二人を止めるどころか、斬り捨てられて終わる気がするけれど‥‥

でも、こんなの‥‥

「そ、そもそも喧嘩の原因はなんなんですか‥‥?」

そうだ、原因さえ分かれば仲裁が出来るかも知れないと気付いて顔を上げる。
問いかけになんだっけな?と沖田は首を捻った。

「確か‥‥」
「朝飯の取り合いから‥‥だな。」
呆れたような原田の言葉に千鶴はくらんと目眩がしそうだった。

朝ご飯の奪い合いから、斬り合いに発展する喧嘩。

そんな事‥‥と言われたら二人に怒られてしまいそうだが、そんな事くらいで刀を持ち出すなんて彼女には考えられなかった。

「大丈夫だって。」

一人不安げに見守る千鶴に、刹那は肩をひょいと竦めて笑う。

「血の気が有り余ってるんだし、ちょっとくらい流血した方があの人ら大人しくなるだろ。」

それは違う意味で大人しくなるんじゃないだろうか?

青ざめる千鶴の前で、
真剣勝負の喧嘩が――始まる。


仲がいいからこそできること


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−



「千鶴ちゃん、食べないと大きくなれないよ?」

ここ数日、千鶴はあまり食欲が無かった。
きっと、夏の暑さのせいだ。

「‥‥す、すいません‥‥」

沖田の指摘に千鶴は申し訳なさそうに眉を下げる。
食べないといざというときに動けないのは分かっていた。
それでも喉を食べ物が越してくれないのだ。
今日の夕食はせめて、食欲をそそるような献立にしようと思う。

「食べないと、刹那みたいになれないよ?」

いや、刹那とて永倉や藤堂みたいに馬鹿食いしているわけではないと思う。
どちらかというと彼女も食が細い。
それでも彼女を引き合いに出され、千鶴は首を捻った。

食べないと大きくなれないよ。
刹那みたいになれないよ。

そうしてふと、彼が口にした言葉を並べてみて‥‥

「‥‥そ、そんなに私‥‥胸が小さいですか‥‥」

千鶴はずどーんと落ち込んだ。

彼女と大きさを比べて、たどり着いた答えがそれだったのだ。

「‥‥え?」

まるで見当違いな言葉に流石の沖田も目を丸くした。

彼にとって「大きくなれない」という言葉と「刹那みたいに」という言葉は全く別物だったからだ。
いやまぁ確かに、千鶴は胸が小さい。
刹那は大きい。
だが、大きくなれないというのは千鶴の身長の事で、刹那みたいにというのは彼女のように強くなれないぞという事だったのだが‥‥

「‥‥確かに‥‥私、小さいですけど‥‥」

サラシを巻かずともぺったこんこである胸元を悲しげに見つめる。

「そんな‥‥はっきり‥‥言わなくても‥‥」

うっと涙ぐまれて沖田は慌てた。

「いやいや!別にそう言うことを言いたいんじゃないから!!」

ここで泣かせてしまえばまた、
『千鶴接近禁止令』
が出されてしまう。
折角一月我慢したというのに‥‥

すんすんと悲しげに鼻を啜る彼女に沖田はえーとと困ったように首の後ろを掻きながら言葉を探す。

「別に僕は、大きさとかは関係ないと思うんだ。」
「‥‥」
「ほら、好きな子ならどんなんだっていいと思うし‥‥」
「‥‥」
「少なくとも、僕は大きさには拘らないよ?」
「‥‥」

すん、すん、とまだ悲しそうな音が聞こえる。

これは困った。

千鶴に『胸の話は禁句』だったのだ。
本当に胸がない事を気にしているのか、落ち込みようは半端じゃない。

何を言っても表情を明るくしない千鶴にほとほと困り切った様子で、じゃあ、と沖田は提案した。

「僕が‥‥大きくしてあげようか?」


この場に他の連中がいれば即座に沖田は『千鶴禁止令』が出されただろうが、今にも泣き出しそうな少女はただ本当ですかと縋るような目で男を見るのだった。


千鶴ちゃん大ピンチ


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−



皮肉を込めてその人は自分を呼んだ。

『ポチ』

と。

彼は、自分が従うと決めた相手の言葉には忠実だった。
そう、
まるで、忠犬のごとく。

『でも、本当は狼だけどね。』

犬なんてかわいげのあるものじゃない、とその人は揶揄するように言った。



「わっ、ちょっと!?」

どさ、ばたん。

男の逞しい身体に引きたおされ、刹那は戸惑いの声を上げた。

押し倒し、覆い被さる男は些か焦ったような手つきで女の着物を乱していく。

「ちょ、一!?」
酔ってるのかと聞けば、常と同じような声が「否」と応える。
酔ってなどいない、自分は素面だと。
しかし、どう考えても酔っているような彼らしからぬ大胆かつ、不躾な行動に刹那は慌てた。

「ちょっと、待て、落ち着けってば!!」
「俺は落ち着いている。」
「嘘吐け!落ち着いてるやつが有無を言わさず女の帯を解くか!」

ここは話し合いをと言うけれど、男は耳を貸さず、攻防の末帯を解かれ、袷を乱される。

「刹那‥‥」

ぎょっとするほど甘ったるい声で呼ばれ、荒くなった吐息が肌を擽った。
男は驚くくらい自分に欲情している。
そんな馬鹿なと刹那は思った。
真面目が服を着ているような男が突然こんな暴挙に出たこともだが、それよりも彼が自分を無理矢理にでも抱きたいと思っていたという事が驚きだ。
いやまぁ、お互いの事を好いているのだからこういう関係になるのは当然なのかもしれない。

むしろ、遅かったくらいだ。

求められて恥ずかしいけれど嬉しい。
だが、嬉しいけれど‥‥

「だ、駄目だって!一っ」

今日は駄目だ。
今日は駄目なのだ。

「‥‥刹那‥‥」

しかしすっかり理性の切れてしまった男には制止の声など聞こえないようである。

ざらりと、長年刀を持ってきた無骨な掌が肌を滑り‥‥女の膨らみに触れた。

こいつはこんな人間だったか?
彼はもっと真面目で‥‥常識人で‥‥
自分の言葉に耳を傾けてくれる人で‥‥

はっと、刹那はそれを思い出した。
次の瞬間、

「ポチ!待てっ!!!」

刹那は声を限りに叫んでいた。

それはさながら、犬にでも命令するかのように。

しかし、斎藤はびくんっと身体を震わせて顔を上げ、その瞳に理性の色を取り戻す。

ぜぇ、はぁ、
と刹那は荒い息を吐き、乱された袷をかき集めながら、こう、言い放った。

「ポチ‥‥お預け‥‥」

そういえば、彼がその命を聞くのは鬼の副長だけではなく、

「‥‥ぎょ、御意‥‥」

新選組副長助勤、その人も、だった。


お預け その壱


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−



皮肉を込めてその人は自分を呼んだ。

『ポチ』

と。

彼は、自分が従うと決めた相手の言葉には忠実だった。
そう、
まるで、忠犬のごとく。

『でも、本当は狼だけどね。』

犬なんてかわいげのあるものじゃない、とその人は揶揄するように言った。



「ポチ、待て!」

今にも飛びかかってきそうな男を刹那は制す。
以前「待て」という言葉にも耳を貸さなかった男だが、どうやら「ポチ」と呼べば言うことを聞くらしい。
前世は犬だったのだろうか‥‥ポチという名の。

とにかく刹那は待てという自分の命令に「う」と呻きながらも、拳を握りしめ、己を律した男を見て、ふうっと溜息を吐く。

別に‥‥彼を拒んでいるわけではない。
自分だって彼の事が好きで、彼に抱かれたいという気持ちはあった。
だけど、なんというか、彼が自分を求める時は決まって、そう‥‥都合が悪いことがあるのだ。

以前は月の障りが来ていて、今回は明日予定があるのだ。

どうしてこう時機が合わないのだろう。

もしや自分たちの相性というのが悪いのだろうか?

このまま時機が合わずに、肌を合わせないまま‥‥だったらどうしよう。
いや、その前に拒みまくって彼に愛想を尽かされるのが先‥‥だろうか?

いやでもだって、やっぱりあの時にはしたくないし‥‥
それに明日の予定だって先延ばしになんか‥‥

でも、折角彼が求めてくれるのに?
奥手な彼がそんな事をするのには勇気がいっただろう。
それなのに?

ああでもだから明日は‥‥

「‥‥刹那。」
「うおわぁ!?」

一人で悶々と考えていると、唐突に背後で声が聞こえ、伸びてきた手に抱きしめられた。
大きな手は、だが女をただ抱きしめるというだけではなく、

「わ!?ちょ、こら待てっ!!」

布の上から胸の膨らみに触れ、その帯を以前のように解きに掛かる。

待て‥‥の効果が切れたのだろうか?もう少し保たせろよ。

「ま、こらっ‥‥やめっ‥‥」

帯を解き緩んだ袷から手が差し込まれた。
このままでは胸を守れないと思い、刹那は身を捩って振り返り、待て、と声を上げる。

「ポチ!お預け!!」

ポチ、
という呼びかけに、

「‥‥うわわわ!?」

男は今度は反応する事さえなく、緩めた袷から覗く白い素肌に唇を寄せる。
じりと首筋に噛みつかれて刹那は息を飲んだ。
癖のある柔らかな髪がその上を滑り、擽ったさとは違う何かが身体の奥を駆けめぐり、思わず漏れそうになった声を噛み殺した。

「ちょ‥‥ご主人様の命令が聞けないのかっ!」

ポチ、ともう一度刹那は彼を呼んだ。

すると、

「‥‥」

男はのっそりと顔を上げ、

「俺は十分、待った。」

告げる。

刹那の命令に、ずっと、従ってきた――と。

だけど、

その蒼い瞳に隠しもせずに、男の欲を灯し、彼は言う。

「これ以上は‥‥待てん。」

ぞくりと肌が泡立つほど、色っぽい瞳を向けられ、刹那は言葉を飲み込む。

まるで野生の獣のようにぐるると喉を鳴らし、
犬と言うよりはもっと凶暴な色をその瞳に浮かべて、

「もう、あんたの命令は‥‥聞けぬ。」

飼い主の細い首筋に、噛みつくのだった。



誰が忠犬だ。
ありゃ手に負えない野生の獣だよ!


お預け その弐


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−



「平助‥‥時には無理矢理が良いときもあるぞ。」

悶々と悩んでいたらしい彼は、刹那の言葉にびくーんと飛び上がる。

彼女が隣にやって来ていた事に気付かなかったらしい。

「お、おま、なんっ!?」

慌てすぎて舌を噛み、うぐぐと涙目になって口を押さえる姿を見て、ああ、と刹那は苦笑を漏らした。

「うん、ごめん。驚かすつもりはなかった。」

「お、おまえっ!いつの間にっ!!」

落ち着けという言葉を綺麗に無視して藤堂は真っ赤な顔で声を上げる。

さっきからずっとだと刹那は正直に答えた。

悶々と何やら考え事をしては、突然声を上げたり、両手で顔を覆ったり、ぶつぶつと独り言を言ったりというその姿は奇妙であった‥‥と思った事は伏せて、刹那はその肩をぽんと叩いた。

「うん、おまえが悩む気持ちはよく分かる。」
「な、なんだよオレの気持ちがよく分かるって‥‥」
「ちゃんと分かってるから。」

刹那は皆まで言うなと告げ、そうだよなと一人ごちる。

彼が悩んでいるのは恋の事。
愛する人に触れたい‥‥という至極真っ当な男心を彼は持っている。
しかし、相手は年下の、無垢な少女。
触れたいけれど躊躇われるのは仕方ないのかも知れない。
なんだか下手に手を出したら泣かせてしまいそうだから‥‥
そんな葛藤故に、彼は悩んでいるのだろう。

「でもな、平助。」

刹那は真面目な顔で言った。

「多少無理矢理にでも奪われたいって思うこともあるんだぞ!」
「んなっ!?」

藤堂はかっと顔を真っ赤にした。

「そりゃ確かに最初は怖いかも知れない。」

未知の世界というのはいつだって初めは怖いものだ。
不安で堪らないものだ。

けどな、

刹那は力説した。

「好いた男が相手なら‥‥恐怖なんて乗り越えられるものなんだ!」

好きな男に触れられ、
好きな男に抱かれるというのならば、
怖くないはずだ。
不安ではないはずだ。

だって、
好きな相手なのだから。

「‥‥」

藤堂はぽかん、と口を開けて刹那を見ていた。

「おまえが相手を思いやってやりたいって気持ちはよく分かる。
でもな、遠慮してばっかりじゃ先に進まないんだぞ?」

だから、たまには強引に事を進める必要だってあるはずで、
その相手が好きな人なら、以下略――

「‥‥そ、そっか‥‥」

藤堂は妙に納得した、という声で呟いた。

「時には、強引になっても‥‥いいのか。」
「そうそう。」

呟きに刹那はこくこくと頷く。
まあ、相手を傷つけちゃいけないとは思うけれど、多少強引なのは許容範囲だろう。
なんせ、

「おまえはちょっとばかし相手に遠慮しすぎる所があるからな。」

それだけ大事にしてやりたいって事なのだろうがそれじゃ、千鶴だって‥‥

「‥‥じゃあ‥‥」

藤堂は意を決し、真剣な眼差しを上げる。

そうして、

「‥‥いい‥‥か?」

熱っぽく掠れた声で問われて、女はぱちくりと目を瞬く。

気がつくと廊下の床の上に転がっていて、
その上に藤堂が覆い被さって‥‥

「――あれ?」


(誤解も誤解、大変な誤解)


「なんで殴るんだよ!おまえ今良いって言ったじゃん!」
「違う!私はてっきり千鶴ちゃんの事だって思って‥‥」
「なんだよそれ!オレの事分かってるって‥‥全然分かってねえじゃん!」
「だっておまえが私を好きなんてあるわけないだろ!」
「っ‥‥あったまきた!ぜってぇやめねえ!!」
「うわ、平助!?まっ‥‥」


想定外の告白


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−



会話が途切れて、

刹那、と名をいつもよりも甘く呼ばれる。

顔を上げれば迫る、色づいた紫紺が驚くほど近くにあって‥‥

あ、口づけられる。

そう分かった瞬間に、刹那はその琥珀を閉ざす。
同時に、唇に、熱い、温もり。

彼との口づけは、
何度交わしても慣れない。

まるで初な少女のように触れるだけで舞い上がってしまって‥‥
呼吸をする事も躊躇われて、
息を止めて苦しくなってくると、

「んぅっ‥‥」

まるでその吐息さえ寄越せとばかりに舌が滑り込んでくる。
絡められた瞬間に声が漏れた。
それと、乱れて熱くなった吐息が。

「ん‥‥んっ‥‥」

舌を絡めて強く、吸われるとじんっと腰にまで甘い痺れが走った。

彼の口づけは、
普段の彼からは想像できないほど、
艶めかしくて‥‥いやらしい。
我が物顔で蠢く舌も、時折意地悪く立てる歯も、緩やかに食むようにあわされる唇も。

「ひじ‥‥かっ‥‥」

苦しいと告げれば唇が微かに離れた。
そうっと瞳を開けば、歪んだそこに、欲情した紫紺が‥‥映る。

「刹那‥‥」

いつもはその涼しげな顔の下に隠している『男』を感じて‥‥刹那は戸惑った。

「ひじか‥‥」
名を呼べば応えるかのように再び口づけ、
頬に添えられていた手がするりと滑る。

あ、と声を上げる間もなくするりと袷の中に侵入され、直に肌を、膨らみを、触れられた瞬間、刹那はその肩を押し返していた。

「っ‥‥」

名残惜しげに互いの舌を伝う銀糸を目の当たりにして、刹那はかぁと羞恥に頬を染めた。

「なんだ?嫌なのか?」

押し返された男は少しだけ眉根を寄せ、拗ねたような表情をしてみせる。
そんな顔は‥‥狡い。
うっかり、いいと首を縦に振りたくなる。

「‥‥土方さんに抱かれるのが嫌ってわけじゃないんです。」

じゃあ何の問題が在るんだと男は柳眉を寄せる。
すると、愛しい女はひどく恥ずかしそうに瞳を伏せて、

「その‥‥私‥‥」

消え入りそうな声で、もごもごと言う。

いつも堂々としている彼女とは思えないほど弱々しい姿に男の理性はぐらりと嫌な音を立てて崩れかけるが、

「今‥‥月のものが来てるので‥‥」

「‥‥あ‥‥」

告げられた女性特有の事情に、なんとも言えない顔で一瞬黙り込み、

「‥‥そ、そりゃ‥‥仕方ねえよな。」

男は誰の目から落ち込んでいると分かるほど、がっくりと肩を落とすのだった。


時には拒まれる事も


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−



本当ですか?と縋るような目で見つめられて沖田は自分の失言を呪った。

ああそうだった。
彼女はどうしようもなく真っ直ぐな子だった。

そんな事を言えば顔を真っ赤にして「結構です」と断られるかと思っていたのに。

そんなに必死になるほど胸が大きくなりたいのだろうか?
それとも、
彼女もこの夏の暑さにやられたというのか?

「沖田さん、どうすればいいんですか?」
「あーええと‥‥」

沖田は困った。
どうすれば‥‥と聞かれて、単純に男が知っている方法というのは『それ』だけだった。

胸を大きくしたければ刺激を与えてやる。

つまり、
胸を揉むという事だ。

そうすれば大きくなる‥‥と前に聞いたことがある。
実際の所はどうか分からない。

「大きくしてくれ」

と願う女などいなかったから。

「沖田さん、お願いします。
教えてくださいっ」
千鶴は真剣な眼差しを向けていた。

本当に、彼女は胸を大きくしたいようである。

「沖田さん!」

ぐっと着物を掴んで詰め寄られる。
真っ直ぐに榛色に見つめられ、沖田は「う」と小さな声を漏らした。
やがて、

諦めたような溜息と共に、

「分かった。
教えてあげるよ。」

という言葉が零れた。

途端、ぱぁっと千鶴の表情が明るくなった。

心底嬉しそうな顔で「ありがとうございます」と言われて、沖田は罪悪感が募って仕方がない。

「‥‥教えて、あげるけど‥‥」

向かい合って据わりながら「いい?」と前置きをした。

「嫌だったらすぐに言うんだよ?」
「大丈夫です!」
千鶴は強く頷いた。
いや、多分、絶対‥‥彼女にとっては大丈夫じゃないと思うのだけど‥‥

沖田は難しい顔でもう一度だけ、

「本当にいいんだね?」

と訊ねる。
千鶴の決意は固かった。
これから‥‥何をされるのか知らないと言うのに‥‥

ああくそ。

やけくそぎみに沖田は内心で呟いて、じゃあ、と両手を伸ばした。

大きな男の手が、前触れもなく、

「――」

自分の胸に触れる。

とすっと触れたそれは、なるほど、彼女が悩むのも分かるくらい‥‥小さかった。

千鶴は目を大きく見張り、自分の胸に触れている男の手を凝視する。


だが、

「‥‥あ、あれ?」

千鶴は突き飛ばすどころか、悲鳴さえ上げない。
ただただ驚きの表情のまま沖田の手が自分の胸に触れているのを見ている。

もしや、声も出ないほど衝撃を受けているというのだろうか。
目を開けたまま、失神してる?そんな器用な‥‥

「‥‥ち、千鶴ちゃん?」

彼らしくもなく恐る恐るという風に声を掛けると、びくっと肩が震えた。
我に返ったようだ。
しかし、

「‥‥あれ?」

やはり彼女は突き飛ばす事はなく、顔を真っ赤にして‥‥恥ずかしそうに視線を逸らしてしまった。
いや、そこまでは女の子の反応かもしれないが‥‥それにしてもどうして拒絶をしないのだろう?
これは一体‥‥?

「‥‥怒ら‥‥ないの?」

沖田は問いかけた。
問いに、はい、と消え入りそうな声で頷いた。

どうして?
と沖田は再度問いかけると、彼女は視線を落として、こう、言う。

「これで‥‥大きく‥‥なるんですよね?」

多分‥‥と沖田は呟いていた。

「それなら‥‥いい、です。」

でも、と沖田は再度口を開く。

「‥‥嫌じゃ、ないの?」

こうして胸を男に触れられるなんて、嫌じゃないのかと。

そう訊ねると、千鶴はちろっと上目遣いにこちらを見て‥‥

「‥‥沖田さんになら‥‥」

嫌じゃない、です。

恥ずかしそうに告げられた言葉に、
一番組組長‥‥陥落。


陥落