「千鶴ちゃん手を出して。」
いいものあげるよ。
と沖田がにこやかに言う。
「何ですか?」
千鶴は馬鹿正直に手を出した。
差し出された小さな手の上に‥‥沖田がひょいと乗せたのは、
小さな、
蜥蜴。
「可愛いでしょ?さっきそこで見つけて捕まえたんだ。」
可愛いでしょと言われて、見守っていたはどこがだと突っ込みたくなる。
横では斎藤が無言でその手の上のものを見ていた。
確かに小さな蜥蜴だが、その背中がどぎつい赤で彩られている。
全体的には焦げ茶で‥‥どう見ても可愛いとは思えない。
というか普通の女の子は、蜥蜴なんぞ好かんだろう。
とて、別に可愛いと言って掌に乗せたいなどと思わない。
それに多分、沖田も可愛いと思って差し出したわけじゃあるまい。
あれだ。
嫌がらせだ。
興味を引きたくて、小さな男の子が、好いた女の子に意地悪をするというあれだ。
何度千鶴に嫌がらせをすれば気が済むのやら。
そして、何度千鶴は彼に嫌がらせを受ければ学習するのやら。
今にきっと、千鶴は叫びだして、それを見て沖田は笑い出すのだろう。
「総司‥‥」
もういい加減やりすぎ‥‥
呆れたようにが声を掛けたとき。
「おい。」
斎藤が些か慌てた声を上げた。
え?なに?
とはそちらを見て、
「――」
ぎょっとした。
千鶴は確かに固まっていた。
掌に蜥蜴を乗せられ、多分、苦手だったんだろう。
固まっていた。
しかし、
問題はそれだ。
固まったまま、千鶴は、
ぼたぼたと大粒の涙を零していた。
声もなく、ただ、ただ、驚き、恐怖し、泣いていた。
止めどなくその瞳から涙が溢れるのを見て、当然、沖田は呆気に取られる。
一瞬だけ、彼も同様に固まり、やがて、
「ご、ご、ごめんっ!!」
珍しく、沖田は慌てたような声で謝った。
自分で乗せておきながらその手から蜥蜴を払い落とす。
落とされた蜥蜴は可哀想な事だが、解放されすたこらさっさと軒下に逃げていった。
もう沖田にはそんな事どうでもいいのだろう。
泣いている千鶴の顔を覗き込むと、本気で申し訳なさそうな顔になって、再度謝った。
「ごめん、ごめん、千鶴ちゃん!」
まさかそんなに嫌いだとは‥‥
と言う彼を、と斎藤は半眼で睨む。
それはそれは冷たい眼差しだ。
「‥‥‥」
まるで壊れたからくり人形のように、千鶴はかたかたと首を動かす。
やがて、沖田へと視線を向けると、
「ひっ‥‥」
その顔がくしゃりと本格的な泣き顔に歪んだ。
「うぁああっっ」
声を上げて泣きじゃくる彼女に、沖田は慌てふためく。
ごめん、と何度謝っても彼女の涙は止まりそうになく、沖田はどうしようと呟きながらその小さな身体を抱きしめた。
そんな彼女の大きな泣き声に、集まった幹部たちから沖田が冷たい目を向けられたのは‥‥言うまでもないこと。
「せんせー、沖田君が千鶴ちゃんいじめてますー」(by)
不器用な愛情表現
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「あー、くっそー負けた!!」
どさ、と道場の床に大の字に寝っ転がり、藤堂は悔しげに声を上げる。
ぜえはあと大きく肩で息をする彼に、も息を乱しながら笑う。
「これで、32勝0敗。」
「くそ、いつか絶対ぇ勝つからな!!」
がば、と上体を起こして藤堂は叫んだ。
そんな状態で叫んだので、くわん、と頭に血が昇り、
「‥‥」
どさともう一度床に倒れ込む。
馬鹿だなぁとは苦笑を零しながら、よいしょとその傍に腰を下ろした。
「平助さー、なんでそんなに私に勝ちたいわけ?」
強い人なら、沖田だって斎藤だっている。
それなのに、何故に拘るのか‥‥
「‥‥そんなの、決まってるだろ‥‥」
問えば、当然とばかりに藤堂は口を開いた。
「女に負けたとあっちゃぁ、男の面目が立たない。」
ああまた、それ。
は半眼になる。
男は女より強くなくちゃいけないという決まりでもあるのか。
それとも、女は男より弱くちゃいけないという決まりでもあるのだろうか。
は解せない。
男だろうが女だろうが、子供だろうが大人だろうが、強い者は強い。
それでいいじゃないかと思う。
ただ、その強い人に憧れ、それを越えたいというのならば別だけど、藤堂のはただ、が女だから、彼女に負けてはいけないという気持ちを持っているように思えた。
「‥‥だってさぁ‥‥」
藤堂の呟きが、聞こえる。
なんだよと不機嫌そうに見れば、彼は顔を腕で覆って、
「やっぱ‥‥女の子は守ってあげなきゃ‥‥って、思うだろ?」
男よりはちっちゃいし。
「なんか‥‥脆そうだし‥‥」
触れたら、
無骨な男の手で触れたら、簡単に壊れてしまいそうだし。
「‥‥だから、守ってあげなきゃ‥‥って‥‥思うだろ。」
男としては、さ。
と、そう告げる藤堂をはちょっとだけ驚いた顔で見つめた。
守らなきゃいけないから。
だから、強くあらねばならぬと彼は言う。
壊してしまわないように。
強くならなければと‥‥
だから、を越えるのだと。
「‥‥」
それを聞いて、は一瞬目を丸くした後、
「でも、それって本末転倒。」
女の私をうち負かそうとしてるのはどうなんだと言えば、藤堂は変な顔をして、黙り込んだ。
(平助はこういう事で悩んでいるとイイ)
悩め青少年
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「あーん」
大きな口を開けて、饅頭を頬張る。
それは決して女の子らしくはない動作だが、ばくと豪快に、美味しそうに食べる姿に原田は自然と顔が緩んだ。
「あー、呆れてる?」
「や、美味そうに食ってるなと思って。」
それだけ美味しそうに食べてもらえるなら、買ってきた甲斐があったものだ。
そう言えば、はぱくと、もう一度かぶりついて、
「美味しいですよ。」
ごくんと飲み込むと、にやと笑った。
「左之さんが、私の為に買ってきてくれたんだと思ったら余計に。」
「‥‥ったく。」
一瞬、悪戯っぽい視線に面食らう。
そしてすぐに苦笑を零すと、原田はおまえには敵わねえよと呟いて、小さな頭をくしゃくしゃと撫でた。
再度、
はあぐ、と饅頭を口にした。
が好んで食べるのは、京の四条にある一軒の饅頭屋の饅頭。
そこの饅頭はあまり甘くない。
女ではあるが、あまり甘いものが得意じゃないにはぴったりの饅頭で‥‥彼女は気に入っている。
そこでの一番のお気に入りは漉し餡の饅頭だ。
「うまいか?」
「‥‥なんかえづけされてる気分。」
は苦笑した。
勿論、美味しい。
出掛けたついでに原田がわざわざ四条まで足を伸ばして買ってきてくれたのだと思うとなお美味しい。
あっという間に二つを平らげ、はぺろ、と指についたあんこも舐めた。
ふいに、
「、ここ。」
彼女の口の横。
あんこがついているのに気付いた。
「‥‥え?こっち?」
「ああ、逆逆。」
「こっち?」
「もうちょい下。」
言われるがままにはごしごしと顔を擦る。
しかし、ほんの少しだけ位置がずれてなかなかあんこが取れない。
「‥‥なんか、こういうのよくありますよね。」
そのやりとりをしていて、は苦笑した。
「ほっぺたに米粒がついてて‥‥どこどこー?ってやるの」
前に茶屋で新婚夫婦だろうか、恋人同士だろうかが、そんなやりとりをしているのを見たことがある。
最後には、相手がその米粒を取って‥‥顔を見合わせて照れたりするのだが、あれは傍目から見ているとなんとも恥ずかしいものだ。
「なんだ、やってほしいのか?」
にやりと原田は笑う。
言葉に、は目を眇め、まさか、とかわいげのない返事をしてみせる。
「私、そんな恥ずかしいことするくらいなら、手拭いで顔拭きますよ。」
言って、は懐から手拭いを取りだした。
その手を、原田の大きな手が掴む。
え?
と顔を上げれば、すぐそばに彼の顔があった。
そして、
「‥‥‥っん‥‥」
男の唇が、
そこに触れる。
甘い、
餡よりも甘い、
その、唇に。
合わせて、
離れる。
「‥‥‥‥」
見れば彼女の顔は真っ赤に染まっていた。
信じられないと言う顔で、彼女はこちらを見ていた。
だって、
「‥‥そこ‥‥あんこ、ついてない。」
やがて、彼女は消え入りそうな声で呟いた。
ああそうだった。
「悪い悪い。」
ここだ、と言うと、彼は甘い笑みを浮かべもう一度、
「んんっ」
もう一度、唇を塞ぐのだった。
だからそこじゃない
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ぎ、り。
痛みを堪えるため。
強すぎる快楽をやりすごすため。
女の爪は、背中に、腕に、立てられる。
ちりと微かな痛みさえも、快楽に酔う身体には刺激となって‥‥男は更に煽られ、動きを激しくした。
まるでそんな男に、文句の一つでも言うように、
ぎり、
爪は再び、肌に突き立てられる。
「‥‥うわ」
は彼の背中を見るや否や声を上げた。
普段あまり彼の背中を見ることはないが、見るとどのような状況になっているのかがよく分かる。
ばしと背中を叩かれ、いてぇと土方は呻きながら振り返る。
見れば彼女は彼の着物を彼の背中へと押しつけていた。
「なんだ?」
どうした、と訊ねると、彼女はなんでもないと無言で首を振った。
なんでもない‥‥という反応ではない。
「」
「うわぁあ、なんでもないなんでもない!私は何も見なかった!」
何も見なかった。
何があっただろう?
土方は一瞬だけ首を捻り、
「ああ」
彼女の言いたいことが分かったらしい。
こう言うときに察しがいい人間は面倒くさいとは思う。
言うなよ、言うなよとは心の中で願うが、男はあっさりと裏切った。
「おまえの、爪痕、だろ?」
彼の背中、
細い三日月のような赤い、傷跡がいくつか‥‥ある。
それは肩胛骨のあたりに集中し‥‥そこは丁度、がしがみつく所だ。
「おまえ、感じてる時はよぉく爪を立てるからなぁ‥‥」
くく、と笑いながら、しかも嬉しげに言われてはかっと頬に熱が集まるのが分かった。
反論のかわりに、べしっと背中を叩く。
確かに彼の言うとおり。
はよく爪を立てた。
強く爪を立てられた時は、数日間消えなかった事もある。
背中だけでなく、腕や手の甲につけられた事もあり、あの時は流石にどう隠したものかと土方も頭を悩ませた。
とはいえ、咎めるつもりはない。
それが女の感じている証拠だと自分に教えてくれるし、何より彼女が自分に残した痕というのに意味があった。
彼女のものになったつもりはない。
だけど、
彼女に痕を付けられるのは悪くはない‥‥と思う。
「‥‥」
やがて、そっと、背中を撫でられた。
だ。
彼女は自分がつけた爪痕をそっと、指先でなぞった。
赤く、もうほとんど塞がった傷跡。
いくつものこる痕は‥‥ちょっとだけ痛々しい。
「痛かった?」
控えめな問いかけに、土方は小さく吐息を漏らす。
「いや‥‥」
血が出るほどに爪を立てられても、
痛みは、
ない。
それどころか、それは快楽を増長させた。
男をひどく‥‥興奮させた。
女の爪が自分の皮膚を裂く瞬間、あのちりりと走る痛みが‥‥男を煽った。
「‥‥痛くはねえよ」
「でも、血‥‥出たんでしょ?」
「さあな」
その時に見ていないし、自分の背中の事だ。
分からないと言えば、は背後で小さく息を漏らした。
「ごめんなさい」
「だから、痛くねえって言ってんだろ?」
「でも‥‥」
じゃあ、と土方はくるりと背を向け‥‥彼女を抱き寄せた。
同時に着物の下に手を滑らせ、
ちく、
「あ‥‥」
微かに爪を立てた。
あまりに柔らかな肌で‥‥微かな力でさえ皮膚を裂いてしまいそうだと土方は思った。
「――痛いか?」
ちり、と走る微かな痛み。
それを痛みと言うと、違う気がするとは思った。
「‥‥」
ふる、と首を振る。
「‥‥痛く、ない」
それどころか‥‥
目元がうっすら朱で染まる。
言いたいことを土方は察し、喉の奥で笑いを漏らして囁いた。
「気持ちがいい‥‥だろ?」
ああもう、だから言わないでとは心の中で一つ呟き、咎めるような視線を男に向けた。
そうすれば土方の紫紺の瞳は色を変えて、
「‥‥そういう事だ。」
どさりと、また布団の上に押し倒された。
(どういう事だ)
そういうこと
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