「ちーちゃん。」
「‥‥」
「ちーちゃんってば。」
「貴様、何のつもりだ?」
風間はひくりと口元を引きつらせた。
刹那が先ほどから誰かを呼んでいるらしいが、そこには彼しかいない。
そして、彼女が見ているのは自分で‥‥
おまけに彼の名は千景という。
「何のつもりって‥‥親しみを込めて。」
愛称をば。
と彼女が言うので、やはりその間抜けな呼称は自分を呼ぶためのものらしい。
「‥‥貴様、俺を馬鹿にしているのか?」
「まさか。」
滅相もない。
と刹那は首を振る。
そして今一度、
「親しみを込めて。」
真顔で言う。
しかしこの女、真顔で人をからか事があるので非常に質が悪い。
「‥‥なに?不服?」
「それを喜ぶと思っているなら、お前は本当の馬鹿だ。」
「いや、本気で喜ぶと思ってんだけど。」
「‥‥」
「ちーちゃんって可愛いじゃん。な、ちーちゃん?」
ぶっちん、
何かが事切れる音が聞こえた。
「え?何、もしかしてアレちーちゃんの堪忍袋の緒?」
切れるの早すぎない?
と刹那は僅かに青ざめ、逃げ腰になる。
「‥‥‥」
無言でこちらを見つめる瞳は、既に据わっている。
やばい。
「え、えと、分かった。
ごめん、ちー様にしておく。」
「‥‥」
「間違えた、千景さん、いや、千景様!」
「‥‥‥」
「って、ちょ、ほんとごめっ‥‥!」
謝罪の言葉は最後まで告げられず、塞がれて終わった。
愛 称
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「刹那さんと沖田さんって‥‥仲がいいですよね。」
ぽつんと、千鶴が漏らした一言に、土方は顔を上げた。
ほら。
と彼女が指さす方向に、二人の姿。
楽しげに話をして、じゃれあう二人。
その二人は恋人同士というよりは、まるでふざけてじゃれる子犬のようでもある。
「まあ、あいつらは昔っから一緒だったからな。」
刹那が彼らの元にやってきて、一番に仲良くなったのは沖田だろう。
年が近いせいか、それとも波長が合うのか。
気がつくと二人で、木の棒を振り回して遊んでいた。
どこか出掛けると言ったら大抵二人。
悪戯をするときも一緒。
勿論、怒られるのも一緒だった。
それは大人になっても変わらない。
二人はやはり、一緒だった。
同じ傷を受け、互いの弱さを知り、
そして慰め合った。
誰より二人は、近しい存在なのかもしれない。
「‥‥本当に、お二人は‥‥」
千鶴が言いにくそうに口を開く。
それを察して、土方は苦笑を漏らした。
「ああ、あいつらは恋仲じゃねえ。」
そう。
二人がどれほどに仲が良くても。
互いの弱さを知っていても。
恋仲ではない。
いや、
恋仲に、なれない。
「どうしてですか?」
千鶴は訊ねる。
それは、と土方は二人を見つめて瞳をそうっと細めた。
「総司が‥‥ガキだからだ。」
言葉に、千鶴は一瞬目を丸くした。
ガキ。
それは‥‥悪口だろうか?
「別にあいつを悪く言ってるわけじゃねえ。」
無言になった千鶴を振り返って、彼は苦笑を浮かべた。
そうじゃなくて、
と頭を振って、
「総司がガキで。
刹那がああである限り‥‥あいつらは変わらない。」
と零した。
千鶴はその言葉を聞いて、ただ首を捻った。
「刹那はな‥‥少し、面倒くせぇ性格をしてるんだよ。」
土方は教えてくれた。
刹那という女は、非常に器の大きな女だった。
一度自分の懐に入れた人間に対してはどこまでも寛大になれる女だった。
色んなものを許して、受け入れてあげられる器を持っていた。
沖田は、
そんな刹那に甘えているのだ。
だが、
「刹那は、一度でも求められると‥‥無理してでも応えようとする女だ。」
と、土方は告げた。
沖田が刹那に甘えたいと求め続けるのならば。
刹那はずっとそれに応える。
きっと自分の事を省みることなく、どれほどに苦しくとも、彼が甘えたいと願えばその場を提供するのだろう。
彼が本当にそう願うなら。
厭わない。
「だけど‥‥あいつは本当は不器用なヤツで。」
本当は、
苦しくて、悲しい時だってあるのに。
誰かに縋りつくことも、
声を上げて泣くこともできない。
ただ何でもないフリをして、笑う人なのだ。
「‥‥刹那は‥‥それを総司には見せられねぇんだ。」
彼の前では。
泣くことは出来ないだろう。
彼が自分に求めたのは、違う姿だから。
「‥‥」
じっと土方は二人を見ている。
でもきっと、彼が見ているのは刹那一人だろう。
彼はひどく、優しい眼差しで彼女を見つめていた。
その眼差しに。
彼の、
深い愛を感じた。
「それに――あいつにゃ無理だろ。」
ふいに、土方がくと喉を鳴らして笑う。
悪戯っぽい瞳をこちらに向けて、言った。
「あいつにゃ刹那を支えてやれるだけの度量はねえ。」
「‥‥っ」
「ガキだからな。」
一瞬呆気にとられ、だがすぐに千鶴は苦笑を零した。
「随分な言われようですね。」
本人が聞いたら「土方さんに言われたくないですよ」と反論が返ってくる事だろう。
いいんだよ、と土方は笑って、空を仰いだ。
「あんな面倒な女‥‥支えてやれんのは俺くらいだろ。」
千鶴は、結局惚気話を聞かされたのだと、後で気付いた。
相応しいのは自分だけ
それは男のエゴ
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部屋を覗くと、髪の毛と格闘している女の姿があった。
「刹那、何してる?」
と問えば、彼女は頭を押さえたまま振り返る。
土方を見つけた途端、刹那の顔は輝かせ「いいところに」と声を上げた。
何事かと眉根を寄せると、
「土方さん、髪の毛結んでください。」
彼女は紐をこちらへと差し出してそんな事を言った。
普段は一つに纏め上げた髪の毛を下ろすと、存外長い。
飴色の綺麗なそれを前に、土方は苦笑を漏らした。
「おまえ、まだ一人で髪も結べねえのか。」
「だって仕方ないでしょ。苦手なんだから。」
何事も器用にこなす女ではあるが、どうにも細かな仕事が苦手らしい。
針仕事も出来ないがそれ以上に出来ないのは己の髪の毛をまとめることだった。
「いつも一がやってくれるんだもん。」
小さい頃から刹那の髪の毛を纏めるのは彼の仕事だったのだが、生憎と昨夜から出掛けている。
ということで自分でやってみたのだが、どうにもうまくいかず、途方に暮れていた所に土方が通ったということだ。
「俺は斎藤ほど器用じゃねえぞ。」
「大丈夫、私よりは器用なはずだから。」
「わかったわかった。」
はぁと一つため息をつき、土方は刹那の髪の毛を掬い上げた。
さらさらと指の隙間からこぼれ落ちるそれは、絹のような手触りである。
柔らかくよく滑る髪質で、なるほどこの髪では纏めにくいというものだ。
土方はそれを纏め、髪の隙間に指を差し入れて梳く。
ふわりと花の香りがした。
柔らかな香りに、手つきも少しだけ柔らかくなる。
時折、指が地肌に触れた。
瞬間、ぴくと刹那の肩が震える。
「なんだ?」
「‥‥いえ‥‥」
痛かっただろうかと訊ねると、刹那は何故か硬い声で否と答えた。
その隙に纏めた髪の毛が一房落ちる。
くそ。
もう一度指を差し込む。
ゆったりとやけに慎重な手つきで髪の毛を梳き上げ、
瞬間、
「っ!!」
刹那が飛び上がった。
飛び上がり自分の前から転がるようにして離れると、彼女は髪の毛を押さえて、
「も、もういいです!」
と言った。
土方は一連の動作に一瞬呆気にとられ、しかしすぐに我に返ると憮然とした面もちになった。
「まだ纏まってねぇ。」
「い、いい。自分でやります。」
言えば刹那は首を振った。
それは遠慮しているというのではなく、嫌がっているようだ。
ちょっとむかっとした。
「人に頼んでおいてその反応はないだろうが‥‥」
唸るように彼が言うと、刹那は一瞬はっとした顔になり、
「‥‥」
次に困った顔になると、自分の頭を守るように手で押さえた。
「だ、だって。」
刹那は言う。
「土方さんの指‥‥っ‥‥」
涙目でこちらを見て、消え入りそうな声で呟いた。
「なんか、やらしいんだもん‥‥」
悪戯な指先
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時々、猫がやるんだよね。
沖田は心の中で呟いた。
高い木に登って降りられなくなり、
みゃーみゃーと鳴くのを。
時々、
猫がやるんだよね。
自分で昇ったくせに、
降りられなくなったり。
「‥‥君も猫と同じ事をするんだね。」
沖田はあきれ顔で呟いた。
庭の一角に、大きな木があった。
しっかりとした少し背の高い木だった。
それの上から、
「沖田さぁん‥‥」
情けない声が降ってくる。
太い幹にしがみついてこちらを不安げな表情で見下ろしているのは、新選組の居候、雪村千鶴の姿であった。
「どうして降りられないのに昇るのかな。」
沖田は腰に手を当てて呆れたようなため息を零す。
「だ、だって‥‥子猫が‥‥」
子猫が木の上で激しく鳴いていたので、昇ったのだと彼女は言う。
しかし言われて見れば子猫の姿はない。
大方助けに来た千鶴を見て驚き、慌てて降りたのだろう。
そして、今度は千鶴が降りられなくなったと、こういう所か。
「‥‥た、助けてください。」
「ああもう、そんな情けない顔しない。」
意地悪の一つでもしてやりたい所だが、あまりに情けない顔を見てはその気も失せる。
沖田はがりがりと頭を掻いて、傍へと歩み寄る。
そうして手を伸ばした。
「ほら。」
「ま、まさか飛び降りるんですか?」
「それ以外にどんな方法があるっていうのさ。」
「だ、だって高いです!」
無理。
と千鶴は幹にへばりついた。
沖田は一度疲れた顔を見せたが、ため息を一つつくと出来るだけ優しい声で、
「絶対に受け止めてあげるから。」
落としたりなんかしない。
そう告げた。
だから、
「ほら。」
おいで。
「‥‥」
千鶴はまだどこか不安げな表情のまま沖田の目を見て、やがて意を決したように一つ頷いた。
へばりついていた幹から身体を起こし、震える手を伸ばす。
そのまま前のめりに倒れ込むようにして、落ちた。
「――!?」
声にならない声が上がる。
瞬間千鶴は目を閉じ、沖田は手を伸ばして、
どさ
「‥‥ほら、大丈夫だった。」
腕の中の少女に、沖田は苦笑で告げる。
しっかりと逞しい腕に抱き留められ、さきほどまで怖かったのが、千鶴は妙な安心感と、気恥ずかしさでいっぱいになった。
「ご‥‥ごめんなさい。」
千鶴はややぎこちない動作で身を離す。
耳まで真っ赤にする少女の顔を覗き込めば、頬に小さな傷を見つけた。
「あれ、ほっぺた、大丈夫?」
「え?」
「すれてるよ。左の頬。」
指摘され、千鶴は恐る恐る手を触れた。
ああ本当だ。
木の表面でかすったらしい。
「大丈夫です。」
こんな怪我、と千鶴は答えた。
「それよりも‥‥」
下ろして――
「千鶴ちゃん。」
恥ずかしさに横を向いた千鶴を、沖田が呼ぶ。
なんですか?
と視線を戻せば、男は何故か満面の笑みを浮かべて、
「消毒。」
ちゅっ――
頬に、柔らかなそれが押し当てられた。
可愛い仔猫
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「なんで刹那は羽織を着ないの?」
だんだら模様の描かれた浅葱色の羽織を身に纏った沖田が訊ねた。
「新選組の一員なんだから着なきゃ駄目なんじゃない?」
と言われて彼女は視線を上げて口を開く。
「総司。
私は新選組と気付かれたらまずい仕事をしているんだよ?」
浅葱色の羽織、といえば新選組。
それほどに定着してしまっているその羽織。
そんなものを着ていては、刹那は仕事がしにくくて仕方がない。
「それに闇に紛れるには派手すぎる。」
浅葱の色なんて。
そんな明るい色は闇に溶けてくれない。
刹那は夜、任務につくときは必ず紺碧の羽織を身に纏う。
山崎と違って黒にしないのは、もし明るい所で誰かとすれ違ったときに怪しまれるからだと言った。
だから、
紺碧なのだと。
闇にも紛れ、光の元でも怪しまれることがないから。
浅葱なんてもってのほかだと彼女は言った。
沖田はそう。
と目を細めて呟き、もう一度口を開いた。
「そして、本心は?」
「ぶっちゃけ趣味が悪い――」
冷静な判断
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しれば迷ひ しなければ迷はぬ 恋の道
帳面に書かれた、その人の性格には似つかわしくない繊細な文字。
豊玉という雅号にてしたためる、誰もが認める下手な俳句。
時折、風流で、時折気恥ずかしささえ覚える詩が並ぶ中‥‥
それを見つけた。
丸で囲んであるその俳句は、こうあった。
しれば迷ひ しなければ迷はぬ 恋の道
捻くれた考えをしなくてもそれが、甘酸っぱい恋の歌だと分かる。
そして、それはあまりにもべたべただろうという詩だった。
そのまんまだ。
と。
しかし、
刹那はそれを見るや否や‥‥手元から帳面を落とした。
「刹那?」
「‥‥‥」
土方は怪訝そうに眉根を寄せてこちらを見ている。
刹那はまだ衝撃のあまり固まっていた。
なんだ?
と彼は取り落としたそれへと視線をやって、
「っな!?」
声を上げ、そして次の瞬間には本能的にその帳面を拾い上げて、ばんっと自分の机の上に置いた。
その音で、
「ふわ!?」
刹那は我に返る。
「‥‥あれ?」
「‥‥てめえ‥‥」
唸るような声を土方は漏らす。
その顔は怒りに歪んでいた。
ひくりと額に青筋が浮かんでいるのを見て、刹那はやばと小さく声を漏らした。
「この間から帳面が見あたらねえと思ってたら‥‥おまえが隠してやがったのか。」
「ち、違いますよ!そんな手癖の悪い事してません!」
これは総司が‥‥と言いかけるが、言い訳をした瞬間に彼の表情が更に険しいものへと変わったので、慌てて口を噤んだ。
どう言い訳しても読んだことかわりない。
そして怒られるのにも変わりはない。
それならば、
と刹那は開き直ることにする。
「ええ、読みましたよ。」
悪びれなく認める彼女に土方はすいと目を細めた。
「ほぉ‥‥良い度胸だ。」
そのまま腰のものに手を伸ばして斬りかねない勢いだ。
しかし刹那は臆さずに、それどころか不満をぶちまけた。
「なんですか!それ!」
それ!と刹那はびしっと彼へと突きつけて、
「らしくもない詩、読んで!」
と言った。
開き直るのは予想通りだが、まさか抗議されるとは思わず、土方は一瞬面食らう。
しかしすぐに怒りよりも気恥ずかしさから顔を赤くして、
「ら、らしくねえとはどういう意味だ!」
と返した。
その言葉の通りだ。
刹那は半眼で睨む。
「しれば迷ひ しなければ迷はぬ 恋の道。」
生憎と、刹那の記憶力はいい。
まあそうでなくともあまりの衝撃にその歌が焼き付いてしまった。
さらりと口にすれば彼は「う」と呻いた。
自分が書いた物ではあるが、それをあえて人の口から言われるとどうにも照れくさい。
いや、恥ずかしい。
らしくないのは自分でも分かっている。
指摘されて土方は焦った。
「わ、悪かったな!らしくねえもん読んで!」
「悪いですよ!どうしてくれるんですか!焼き付いて離れないじゃないですか!」
あの詩をどんな顔で詠んだのかと考えただけでも少し寒気がする。
いや、彼とて立派な男。
恋の一つや二つ、あってもおかしくはない。
おかしくは‥‥
おかしく‥‥
「私を殺す気ですか!?」
「どういう意味だ、こらぁ!!」
今でも震えが止まりません。
刹那談。
実は照れ隠し
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