「刃向かう奴は、一人残らず討ち取れ!」
  土方の鋭い声が喧噪の中に響く。
  鋼の打ち合う音。
  怒号。
  悲鳴。
  どこかで火の手が上がる。
  おそらく残党の一人が火を放ったのだろう。
  赤く染まる闇の中、浅葱の風が走り抜けた。

  「副長!」
  「構うな!おまえらは先に行け!」
  背後より現れた敵の姿に、前を行く隊士達が振り返る。
  土方は敵を切り伏せながら声を張り上げた。
  鬼の副長と言うにはあまりに繊細で鮮やかな剣筋だった。

  がらがら!
  焼けて崩れた戸板を、敵が蹴り倒す。
  砂埃があがり、一瞬視界が遮られた。
  視界が不良になった事に隊士の一人が怯む。
  瞬間、
  「死ねっ!!」
  炎の中から躍り出る影があった。
  頬を煤で黒くさせた、敵は大きく刃を振りかぶり、
  「っ!?」
  ざん――
  その刃が隊士を討ち取るよりも前に、大きな影が走り、流れるような一刀で、敵を斬り伏せた。
  男は驚愕の眼差しのまま、絶命したことさえ知らずに、倒れた。
  「やれやれ、こんな雑魚相手に押されてるんじゃ、一番組はつとまらないよ。」
  にやりと口元に笑みをはいて、男は言う。
  「沖田総司!」
  新選組最強の剣士と呼ばれた男は、ひどく楽しそうな顔で、炎より飛び出す敵を斬り伏せた。

  「‥‥がぁっ!?」
  無言の元に一刀を浴びせられ、男は前のめりに倒れ込む。
  闇に溶け込む黒い影は、倒れた男には目もくれず、次の敵へと走った。
  そして、
  「がっ!」
  もう一太刀。
  風のように走る男は、その瞳をそうっと細める。
  普段は冷静と言われている男の瞳の奥には、熱い炎が揺らいでいた。
  「斎藤君、君も来たんだ?」
  ざんと敵を切り倒し、沖田はその人の背中に声を掛ける。
  「ああ‥‥裏門の方は、左之と新八であらかた片付けた。」
  残るはこちらだけだと、彼は短く告げて刀を握り直す。
  なるほどね、と沖田は肩をひょいと竦め、
  「後から後から湧いて出てくるんだよね。」
  まるで虫みたいだと、馬鹿にしたように呟く。
  あちこちに倒れた敵の姿が転がっている。
  まだ残る敵を前に、隊士達が斬り合いを続けているが‥‥助太刀しなくてももう片は付きそうだ。
  「雑魚ばっかりでつまんないよ。」
  「総司‥‥」
  「だって本当の事でしょ?」
  もっと骨がある奴でもいればいいんだけど‥‥と彼はあたりを見回し、

  ――がたぁん!!

  けたたましい音を立てて、板戸がはじき飛ばされる。
  「っ!?」
  振り返れば、通りに、浅葱色の羽織を着た隊士が倒れていた。
  中に入った者達だ。
  勢いよく壁に叩きつけられ、絶命こそはしていないが、気を失っている。
  何事かとそちらを見遣れば、のっそりと、
  邸より出てきたのは大きな男の姿だ。

  「‥‥‥」

  その瞳を怒りの色に染め、両手を血で染め、抜き身の刃を手にしている。
  ぎょろ、とまるで人間とは思えぬおぞましい目を動かして、こちらを見れば、浅葱の羽織を見つけて吠えた。
  「新選組がぁああ!」
  繊細さの欠片もない太刀さばき。
  しかし腕力に物を言わせたそれに、隊士達は吹き飛ばされた。

  「副長!」
  男が猛進してくる先に、彼の姿がある。
  抜き身の刃を携えて男をじろりと睨み付けていた。
  鬼の副長と呼ばれる男は‥‥強い。
  しかし、彼は一人だ。
  斎藤は咄嗟に走り出そうとした。
  それを、
  「大丈夫だよ。」
  沖田はにやりと笑みを浮かべて、止める。

  「うぉおおおお!!」
  渾身の力を込めて、大男は刃を振り下ろした。
  土方は動かない。
  風が、動いたのを沖田は感じ、本当に楽しげに、笑った。

  「あの人には‥‥風がついてる。」

  ギィン――

  甲高い音が、空に上がる。

  刃の切っ先が、土方の頭の前で止まっていた。
  男は、驚きの表情を浮かべていた。
  渾身の一撃を振り下ろしたはずだった。
  一撃の後に討ち取られても本望だった。
  だから、全てを振り絞った。
  止められるはずなどないと‥‥思った。

  しかし、
  その一撃は止められ、
  おまけに止めたのは、目の前の男‥‥土方歳三ではなく、

  「‥‥な、んだ、きさま‥‥‥」

  刃に手を添えて受け止めたのは、
  彼よりももう少し小さな影。
  小柄、としか言いようのないその人は、浅葱の羽織を着てはいなかった。
  浅葱よりももっと濃い‥‥蒼の色。
  しかしその髪は闇の中ではあまりに映ってしまう飴色をしている。
  そしてその瞳は、澄み切った琥珀。
  それをにんまりと歪めて‥‥楽しそうに笑っていた。

  「――――
  「副長が手を出すほどの敵じゃないよ。」

  と呼ばれたその人は告げて軽々と刀を弾いた。
  瞬間、がくんと刀が地面に落ちてしまう。
  それほどに重たくはなかったはずだ。
  何故だと己の腕を見下ろせば、愕然とした。
  両手首が真っ赤に染まっていたのだ。

  「腱を斬られた事にさえ気付かない小物だ。」

  いつの間につけられたのだろう。
  両手首は深々と斬られ、ぱっくりと骨まで露わにしている。
  ぎゃああと、痛みからか恐怖からか、悲鳴を上げた。
  その場にどさりと膝を着く。
  はすいと目を細めて、面白くもなさそうな目で男を見た。
  「なぁんだ‥‥いかついのが出てきたと思って楽しみにしてたのに。」
  期待はずれだ、と呟けば、後ろで土方が嘆息した。
  「遊びで来てるんじゃねえぞ。」
  「分かってます。」
  軽い口調で、分かってるのか分かってないのか、分からない返事をする。
  土方はああそうかよと呟いて、くるりと背を向けた。
  もうは興味などない‥‥そう言われた気がして、痛みと恐怖から絶望していた心が、激しい怒りへと変わる。
  彼とて、名のある武士だ。
  こけにされて黙っておけるはずもない。

  「ぁあああああ!!」

  しかし、刃を握ることは叶わない。
  意味のない咆哮を上げて、男は立ち上がり、走った。
  斬れないのならば、炎の中に道連れにしてやると、思った。

  しかし、

  「その心意気だけは、評価してあげるよ。」

  ざん、
  と静かに刀が一閃する。
  まるで舞うように、その人は刃を振るった。
  琥珀の瞳が真っ直ぐに自分を見て、微笑んだ。

  「でも‥‥この人は討たせてあげないよ。」

  がくりと、男は膝から崩れるようにその場に倒れた。
  最期に見たのは、粟立つような色香を含む‥‥女の微笑だった。



  「あらかた片付いたな。」
  あちこちから聞こえていた勢いのあった敵の声も、いまはもうしない。
  ぶすぶすと黒い煙を上げる残骸を彼は面白くもなさそうに見た。
  ざぁと風が吹く。
  風に煽られ、砂埃が舞った。
  「土方さん。」
  そっとは隣に立った。
  彼は振り返りもせず、ただ眉間に少しばかり皺を寄せた。
  「頼んでねぇぞ。」
  さっきの。
  と、彼は言った。
  あの男に斬りつけられた時の事を言っているのだろう。

  「勝手に俺の前に出てきやがって‥‥俺がお前に気づかずに刀を抜いてたらどうしたんだ。」

  そうしたらは間違いなく背中を土方に斬られていた。
  ほんの少しでも土方が飛び込んでくるに気づくのが遅かったら、はここにいなかっただろう。
  しかし、彼女は笑った。
  「土方さんがそんなへまをするわけがない。」
  「‥‥」
  「そんな事したら、総司に副長の席から引きずり下ろされますよ?」
  くすくすと、何故か楽しげに笑って言う。

  馬鹿が‥‥と彼は口の中で小さく零した。
  「俺が言ってるのはそういうことじゃなくて‥‥」
  「分かってます。」
  言葉の先を、は微笑で止めた。
  ひょいとこちらを覗き込んで、彼女は笑う。

  「土方さんが――私に気づかないはずがない。」

  挑発するような、悪戯っぽい瞳で。
  そんな事を言った。

  ――馬鹿が。

  土方はもう一度呟いた。
  くしゃと不機嫌そうに顔を歪めると、ふいとその視線から逃れるようにそっぽを向く。
  「知るか。」
  「あはは、土方さんってば素直じゃないなぁ。」
  そんな反応には笑った。
  からかわれ男は半眼になって睨み付ける。
  視線の真っ向から受け止める女は、楽しげに笑っていた。



い風



「なに討ち入りの最中に副官とべたべたしてるんですか、副長」
という総司のツッコミがこの後入ります(笑)