二十対一‥‥は流石に無謀だったかとは思った。
物陰に隠れ息を潜めているとその横を男達の声と足音が駆けていく。
「どこへ行った?」
「あっちか!」
「くそ、逃がすか!」
という殺気立った声が聞こえ、はひょいと肩を竦めた。
最初の一撃で、二人を葬った。
そして、すぐに続けて三人‥‥と殺した所で、我に返った浪士が一斉に斬りかかってきた。
その数は五人。
隙をついて更に一人二人斬り伏せたとして、五人相手で無傷というわけにはいかない。
こうなったら一旦引いて、奇襲を掛けるのが得策かと、身を翻した。
それから‥‥ここでどう奇襲を掛けてやろうかと考え中‥‥である。
「ええと、さっきので五人殺したから‥‥」
残りは十五。
それでもまだ全然残ってるな。
「それに、増援呼んだかもしんないし‥‥」
ははあ、と溜息を吐いた。
正直‥‥侮っていた。
こちらが本命ではないと侮っていた。
敵は雑魚ばかりで、そう頭数も揃えていないだろうと思っていたが、蓋を開けてみればこちらが本命である。
戦力も、数も、申し分ない。
「こんなことなら、誰かに同行してもらえばよかったかな‥‥」
今更後悔しても、遅い。
足音が途切れた所で、ひょいとは物陰より顔を出した。
「っ!?」
ぎょっとしたのは、顔を出した瞬間、男が一人戻ってきたからだ。
「き、きさま!」
と慌てて浪士が抜刀するよりも前に、
「っ」
は瞬きの間も与えずに、抜き身の刃で斬り伏せる。
「があ!!」
男は一刀両断され、がたん、と派手に物音を立てて絶命した。
その音で‥‥敵が気付いた。
「あっちだ!」
「ああ、もう、死ぬ間際に面倒な事してくれちゃって!」
ざかざかと近付いてくる足音には舌打ちを一つして、ひらりと踵を返す。
風のように月光の元を走ると、敵が躍り出るよりも前に、
ざん
「っ!?」
顔を出した男の腹を薙ぐ。
ぐらりと巨体が後ろに倒れ込めば後ろに続いていた浪士が慌てた声を漏らした。
その一瞬の隙に、
「っが!?」
「ぐっ!?」
目にもとまらぬ早さで二人をあっという間に切り伏せた。
が、後ろに続く人の数を見てここに来て初めて「しまった」という顔になった。
ゆうに十数人は続いていた。
やはり援軍を呼んだらしい。
これは不利と見て、踵を返そうとするも後ろから慌ただしい足音が近付いてきて、
「ちっ」
挟まれている事に気付く。
「‥‥」
は僅かに背後へと視線を向けた。
背後の敵は‥‥五人。
抜けられない数ではない。
ただ、五人を一気に相手にしたとして、無傷では済まないだろう。
それでも、
ギィン!!
刃を弾き、くるりと背を向けて向かってくる敵を斬り伏せる。
先頭を勤めていた男は抜刀の姿勢のまま、喉を貫かれて絶命した。
返す刀で後ろの一人の胴を薙ぎ、隣の男のこめかみに柄をぶちこんで昏倒させる。
そうして次の一人が斬りかかってきたのを、足を払って転ばせると、もう一人へと駆けていく。
あと、一人、
返り血を浴びながらそんな事を考えた瞬間、
「くそっ!!」
足下に転がった浪士の一人が、の足を思い切り刃の柄で叩いた。
びり、と鋭い痛みが走ったと思った次の瞬間、身体は均衡を保てなくなり、がくりとは膝を着く。
「っ」
すぐに立ち上がらなくてはと思ったけれど、左足に感覚がなかった。
まるで痺れたように鈍くて‥‥思ったように動かない。
「死ねぇえっ!!」
蹲る自分に、大きな影が重なる。
振り返った瞬間、ぎらりと月光を受けて白刃が煌めいたのを‥‥見た。
渾身の力で、刃を振り下ろそうとするのが。
その刃をまともに受ければ確実に‥‥自分が死ぬのは解った。
瞬間、は即座に肩を犠牲にしようと思った。
背中を貫かれるよりも肩を斬られる方がいいと。
肩ならば‥‥最悪持っていかれてももう一本残る。
まだ、
戦える。
例え、腕の一本、足の一本、持って行かれても‥‥
ここで、
死ぬわけには‥‥
――ふいに、
黒い風が駆け抜けた。
いや、
風ではなく、
黒い、
――狼。
――あ れ は――
瞬きさえ許さぬその一瞬。
は刃の柄を握りしめ、刀を振り下ろす男に背を向けた。
死を覚悟した‥‥
誰もがそう思った瞬間だった。
しかし、の目は別の敵へと見据えられており、
そしてその瞳には絶望の色など浮かんでいなかった。
ただ、
勝ち誇ったかのような笑みが浮かんでおり、
――ざんっ
「――がっ!?」
次の瞬間、二つの断末魔が同時に上がった。
一つは、の足を使い物に出来なくさせた男。
もう一つは、
に斬りかかろうとしていた男。
そのどちらもが驚きに目を見開き、同じように赤い血を流し‥‥
別々の白銀の刃で貫かれていた。
そう、の刃と‥‥もう一人の‥‥刃、
とん、と背中に温もりを感じた。
はにやりと笑って、まるで挨拶でも交わすかのような軽い口振りで言う。
「こんな夜にどこへお出かけかな?」
ふわりと、白が風に踊る。
「‥‥三番組組長殿‥‥」
呼びかけに、黒き狼はすいっと青い瞳を細め、
「っがっ!?」
再び、血飛沫と断末魔が静かな夜を引き裂いた。
「いやぁ、助かったよ。」
血だまりの中で彼女はからからと笑う。
動く者は二人以外に誰もいない。
斎藤は、ぶんっと刀についた血を払い落とし、ゆっくりと鞘へと収めながら、窘めるように口を開く。
「俺が間に合わなければどうするつもりだ?」
あの時、斎藤が間に合わなければは肩をばっさりやられていた。
腕一本残るから戦えるとかそういう問題ではない。
まともに受ければ生死にだって関わる傷を負っていたはずだ。
「‥‥んー、そしたら山南さんに言ってあの赤い水でも拝借するかな?」
「。」
赤い水の効果を知っている彼はあからさまに嫌そうな顔をした。
「冗談だよ。」
は本気か冗談か分からない顔で笑う。
必要ならば彼女は迷わず化け物にでもなるのだろうがそんなあっさりと自分というものを捨てられる彼女がある種恐ろし
いと思う。
まったく、と斎藤は零しながら横たわる死体をぐるりと見回した。
それからすたすたとこちらへと近付いてくる。
「それに‥‥」
が小さく呟いた。
何を言い出すのかと視線を向ければ、彼女はにっと口角を引き上げて、
「一が、間に合わないわけがない。」
などと好き勝手な事を言ってくれる。
それはどういう理屈だと言うのだろう。
自分だっていつも傍にいるわけじゃない。
彼女がどういう状況にあるか分からないときだってあるし、分かっていても助けられない時だってある。
なのに、彼女は絶対に彼ならば間に合う、と言うのだ。
「‥‥そう言うのならばせめて‥‥」
「ぬお?」
ふわりと男はを横抱きに抱え上げた。
突然の浮遊感にが変な声を上げるのも無視して、すたすたと積み上げられた木材の上へと下ろす。
「一?」
前に跪き、そっと彼女の細い足を持ち上げた。
「っ!!」
軽く踝に触れるとは息を飲むのが分かる。
見ればぱんぱんに腫れていた。
「骨までやられたかもしれんな。」
「‥‥うわぁ、それだけで痛そうな響きだな。」
苦笑で誤魔化すが、痛みは相当ひどいのだろう。
は額に汗の粒をいくつも浮かべていた。
この傷で、あの後も刃を振るっていたのかと思うと感心の前に呆れるというものだ。
斎藤は溜息を吐きつつ、懐から手拭いを取りだして添え木になるようなものを彼女の足にあててぐるぐると手早く固定する。
とりあえず屯所に着くまでは動かさない方がいいという事で、無言でくるりと背を向けるとは「あー」となんとも困っ
たような声を上げる。
「‥‥私、重‥‥」
「黙って俺の背におぶされ。」
有無を言わさぬ言葉にはやれやれと肩を竦めた。
そうして身体を前に傾けて、思ったよりもずっと大きな背中にえいやとのし掛かる。
「‥‥」
しっかりと乗っかったのを確認すると斎藤は腰を上げた。
思っていたよりも、少し、いやだいぶ、彼女は軽かった。
「重ね重ねすいません。」
背中におぶられ、無言で歩き出す彼には申し訳ないと謝ってくる。
斎藤は溜息を零した。
「そう思うのならば‥‥」
せめて、
と自分よりも小さく、細い身体を自分の身体に刻みつけながら願う。
「助けを求めてくれ――」
誰でもいいから。
ただの一人で抱え込んだりせずに、
その手を伸ばしてくれればいい。
「あんたが呼んでくれるのならば俺は‥‥」
例えどれほど小さな声でも、聞き逃さないから。
だから、
呼んで欲しい。
そう、男は懇願するように告げた。
そんな彼に、
「‥‥努力します。」
背後から聞こえたのはなんとも頼りない返事で、斎藤はもう一度、聞こえないように溜息を零した。
あなたの声が聞こえない
は誰にも助けてとは言わないだろう。
そして齋藤さんはそのたびに焦ると良い。
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