「やだ。」

  駄目、と彼女は首を振った。

  確かに嫌だと言われても仕方のないことをしている。
  化け物のように血を啜る‥‥なんておぞましいことを。

  でもどうしたというのだろう。
  血をあげると言ったのは彼女なのに。
  どうして嫌だと言うのだろう。
  怖くなったというのか?
  それとも、自分を嫌悪した?

  斎藤が訊ねると、はそうじゃないと首を振った。

  「‥‥だって、おまえ‥‥耳朶を切るつもりだろ?」
  「ああ‥‥」

  白髪の男はぜぇぜえと息を切らせながら、血のように赤いそれで求めるように自分を見ている。
  こんな押し問答をしている場合ではない。
  彼に早く血を与えなければいけないのは分かっていたが‥‥『それ』だけは嫌だった。

  「駄目、却下。」
  彼女は言って男から短刀を奪おうとする。
  何をするのかと訊ねると彼女は自分の腕を斬ると、こともなげに言ってのけた。
  それは駄目だ。

  「‥‥耳朶の方が、痛みを感じない。」

  血を与えて貰うだけで申し訳ないというのに、この上痛みまで彼女に与えられない。
  人の身体の中で割と耳朶は鈍感だ。
  だからそこを選んだというのに、彼女は嫌と首を振った。

  「何故だ?」
  「‥‥」

  斎藤は至極真面目な顔で問いかけた。
  は問いかけにうぐ、と呻く。
  どうやら聞かれたくない理由らしい。
  が、納得できなければ彼女の言うとおりには出来ない。

  「答えろ、。」

  吸血衝動と戦いながら、でも男は真摯な眼差しで訊ねる。

  はぐらかすわけにはいかなかった。


  「だ、だって‥‥」

  やがては自分の耳を己の手で覆い、それはまるで彼から守るようにして、

  「‥‥耳、弱いんだもん。」

  どこか恥ずかしそうに頬を染めて言われたら、流石の堅物男も‥‥

  「――」

  堪らない。


  「おま、おまえ、もう吸血衝動収まっただろ!」
  だったら離れろとは涙目で言う。
  肩を押しのけようとするが、力が入らない今ではただ添えているだけに等しい。
  そればかりか、

  かり、

  「んんっ!」

  耳朶を緩く噛まれて、びくりと拳を握りしめた瞬間、まるで彼に縋り付くようなそれになってしまう。

  もう既に髪の色も目の色も常のそれだというのに、彼の呼吸は血を求めるそれよりも熱く、荒い。
  男は興奮していた。

  「‥‥」

  熱っぽく名前を呼ばれ、耳のすぐ傍で言われたせいでするりと直接脳を撫でられた気分になる。

  やめろと言いたかった唇は、

  「ふぁっ」

  耳孔にふっと息を吹きかけられて甘ったるい声を漏らした。
  力が完全に抜けた。

  「‥‥」

  もう分かってるよと言うくらい名前を呼び続ける男は耳の付け根やら耳殻やらを舐り、あるいは甘く噛む。
  そうされるうちに段々と意識は蕩けていき、何もかもが分からなくなっていった。


  だから、
  嫌なんだ‥‥


  直に唇から、もっと甘い声が上がることになる――

  それは予感というより‥‥確信。



あまい場所



の弱いところは耳←弱点
ということで一とは相性悪し(笑)