「斎藤君、これ‥‥」
もらってください、と可愛いと有名な総務の女の子がピンクの包みを差し出した。
それが何か、というのは男でも女でも良く知っているはずだ。今日がなんという日か知っている限りは。
チョコ。
つまりバレンタインデー。

別に覗くつもりはなかったんだけど、うっかり通りかかった休憩室でそんな光景を目の当たりにしてしまった私は、息さえ出来ずに見守ってしまった。
別名ロボット‥‥と言われる、顔は良いけれど、無愛想な彼が人気者のチョコをどう、受け取るのか。
気になったのだ。

1.照れる
2.喜ぶ
3.「特別にもらってやる」とかツンデレ的な反応を見せる

さあ、どれだ!?


「申し訳ないが、受け取るわけにはいかない。」

まさか、断るという選択肢を選ぶとは、こりゃ予想外。





2月14日、23時40分。
いよいよバレンタインが終わるって頃になって、一がとうとう我慢できないという感じで「おい」と私に声を掛けてきた。
「ん?おかわり?」
コーヒーを注いでいた私の問いに、彼は頭を振る。
じゃあなんだと訊ねれば彼は険しい顔で私を睨み付けた。
普段ならそんな事は、しない。
何故なら彼は私の三つ下の後輩で、直属の上司である私には基本、礼儀正しい。
睨むどころか「おい」とかいう呼びかけたりもしない。
勿論今は「」とも呼ばず「雪村さん」と背中が痒くなるような呼び名で呼ぶ。
何故かと言うと会社だから。
そして何故そんな礼儀正しい彼が私を睨んだり「おい」とか言ったりするかと言うと、そこが私の家だから、だ。
そしてそして何故私の家に、こんな時間、
ラフな格好をした私と、彼とが一緒にいるか‥‥と聞かれれば答えは一つ。

姉弟だから。

嘘、冗談。

恋人同士だから。

隠れて一とつきあい始めたきっかけは彼が私の下について2年目の――去年の今日だった。
いつも私の下で文句一つ言わずに働いてくれる彼にせめてものお礼‥‥じゃないんだけど「チョコ」を渡したんだ。
まあ、その時は義理‥‥だったんだけど‥‥その時も今日みたいに「いらない」って断り続けていたのを見ていたからこれも受け取ってもらえないかなと思っていると、意外や意外‥‥彼は驚いたような顔をして、その後、
「ありがとうございます」
と受け取ってくれた。
いつも無表情だった彼が初めて、はにかんだように笑ったのを見て、驚いたのを覚えている。
そしてそれ以上に驚いたのが、

「俺と、つきあってもらえないだろうか?」

という突然の告白の言葉。

まさかバレンタインに男の人から告白されるとは思わなかったよ。
バレンタインと言えば女の子から告白するんじゃないの?とか思ったけど、それはまあ置いといて‥‥私は呆気に取られつつ、だって一が私の事をなんて微塵も思わなかったから、それでも彼の事を嫌いじゃないと思ったのでオッケーした。
そこから本気で好き‥‥になるまでには時間は掛からなかったというのはまた別の機会に話をするとして‥‥
つまり、去年の今日告白されて、丁度一年目にさしかかる。

記念すべき日に、私の部屋で揃ってうだうだっていうのは勿体ない気もするけれど、これはこれで私はいいと思っていた。
でも、
一の様子はなんだか不満げだ。
やっぱりケーキの一つでも買ってきた方がよかったかな?

「‥‥今日は、2月14日‥‥だろう?」
「‥‥仰るとおり‥‥」
あと二十分で15日だけど、今はまだ14日だ。
それがどうしたのかと聞き返すように首を捻ると、その、と一が言いよどむように言葉を切る。
ついでに視線が逸らされた。
その、とか、あの、とかなんかもごもご言っているけれど聞き取れない。
なんだよ男だろ、はっきりしろよと突っ込んでやりたい反面、うっすらと頬を染めているその様子が堪らなく可愛くて、撫でてやりたくなる。
そんな事をしたら拗ねて‥‥もとい、怒ってそっぽ向いてしまうだろうからやめておこう。
ただひたすら、一が言い出すまで我慢、という風に待っていると、カチカチと時を刻む時計の針の音に急かされたように彼は慌てて口を開く、けど、言葉はややゆっくりだった。

「今年はもらえないのだろうか」

は?
なに?
今年はもらえない?

そっぽ向いていた‥‥と思ったけれど、ちろっと横目でこっちを見ているワンコ‥‥もとい、彼氏を、私は怪訝そうな顔でじっと見て、

「なにを?」

訊ねる。
質問に質問返し。
卑怯だ、自分。
それは一も思ったらしい。
途端不機嫌そうに細められる目は、さっきまで照れてまともにこっちも見れなかったくせに非難するように顔ごとこっちを見て睨み付けてきた。
「睨まれたってわかんないものはわかんないっての。
で、何をくれないのかって?」
私は再度、言葉にする。
問いに一は今度、あんぐりと口を開けてしまった。
驚いた‥‥という顔だ。なんでそんな顔されなきゃならないわけ?

「‥‥まさか今日がどういう日か忘れているのか?」
「いや、そこまで耄碌してませんって。」
大丈夫よ?
今日は2月14日、金曜日。
バレンタインデーであり、私たちの一周年?
あ、もしかして一周年記念になにか欲しかったって事かな。
でも前になにか欲しい?って聞いたら「いらない」って言われたし‥‥だからって何も用意しない私はどうなのかと思うけど、いらないって言われたら用意しないよ普通。
「違う、そちらは‥‥また別の機会にさせてもらうとして、だな。」
「ん?じゃあなに?」
「‥‥‥‥‥本当に、分かっていないのか?」
「だから分かんないんだってば‥‥」
心底信じられないという風に見る一に、私はすっぱり言ってよと腰に手を当てて訊ねる。

かち、と時計の針がまた動いた。
14日終了まであと、15分‥‥

「‥‥今日は、バレンタインだろう?」

こわごわという風に訊ねる彼の意図が、ようやく、分かった。
ああ、そっちか。
という風に私はぽんと手を打って納得した。そして、

「チョコは用意してないよ?」

あっさりとした言葉に、一の安堵の顔が一瞬にして凍り付くのを、見た。
顔に「なんで」「どうして」とかそういう疑問が浮かんでいる。
「だって、おまえ甘いもの好きじゃないって言ってたでしょ?」
だからいらないかなぁと思ったんだ。
「‥‥」
そう言えば彼は見る見るうちにしおしおと、肩を落とし、俯いてしまう。
あからさまに「落ち込んだ」みたいな態度を取られて私は戸惑う。
え?なんで?そんなに落ち込む事?これ。
‥‥もしかして‥‥
「甘いのは苦手だけど、チョコだけは別、とか!?」
そいつは盲点。
だから去年受け取ってくれたのか、そうだったのか、と私は内心で呟く。
いや、でももし、チョコが好きで好きでたまんないなら、
「会社の子がくれたときになんで受け取らなかったのさ!」
いっぱいくれた子はいたって聞いている。
でも、全部断ったっていうのも。
本命も、義理も。
だから、一は実質、今年のバレンタインチョコはゼロ、だ。
「‥‥俺には‥‥あんたがいるから‥‥」
私の言葉に落ち込んだまま、一は答える。
私がいるから?
ああ、それって私がヤキモチ妬くとか思って‥‥
「いやいや、チョコもらったからって浮気とか思わないし‥‥」
私そんな心狭くないぞ。
別に義理だろうが本命だろうが貰ったって「捨てろ!」とか言わない。
チョコ受け取ったくらいで罪にはならんだろうし、何よりチョコを受け取ったくらいで相手の子だってつき合えるだなんて思わないだろう。
会社でならお世話になりましたっていう意味であげる人も多いんだしそんな真面目に考える事も‥‥

「‥‥俺は‥‥あんたのものしか受け取らないと決めていた。」

ちろ、と私を上目に見る彼の口から出た拗ねたような言葉に私は思わず‥‥言葉を失って、固まった。
固まった、というには語弊はあるかな。
動きたくて動きたくて仕方ないって感じで私の両手の指先はわきわきと動いている。
今すぐ目の前の男をなで回してやりたくて仕方ない。
でも、しない。
前にも述べた通り、んなことをしたらますます、拗ねる。
拗ねたら可愛いんだけど‥‥可哀想でもあるから。

あんたのものしか受け取らないと決めていた――

とかってどんだけこいつは健気なんだろう。
そんなに私に義理立てする事はないのに‥‥真面目というか、一途というか‥‥愛おしい。愛おしくて堪らない。

「今すぐ用意する!」

そんな彼に何か渡せないだろうか。
私はすっくと立ち上がり、キッチンの方へと向かった。
ただ生憎と、私も甘いものが得意じゃなくて‥‥なおかつ一人暮らしなものだから買い置きのお菓子なんていうものもない。
冷蔵庫を開けても必要最低限の食材しかなくて‥‥棚を開けても入ってるのはコーヒーや紅茶の葉。
がたがたと棚を開けては溜息を零す、を繰り返していると一が追いかけてきて、
「ある!あるから!」
心底哀しそうに見えるもんだから慌てて大丈夫だと言い、ありもしないのにポケットに手を突っ込んだ。
その指先に、かつんと、何かが当たる。
なんだこれ。
引き出してみて、私はがっくりした。
ポケットから出てきたのはチロルチョコ。
一個10円とかいう、あれだ。
これはあんまりすぎる。
本命の相手にチロルって‥‥私どんだけ気合い入ってないんだって思われるじゃないか。

「待ってろ、今から買って‥‥」
とにもかくにもこのままじゃ収まらない。
家の中にはもうなさそうだ。ならば外に買いに行くまで。
とは言ってももうデパートも閉まってるからそんなに良い物は買えない。
せいぜい買えて、コンビニ。
でも、チロルよりずっとマシだ。

「それ、で、良い。」

だけど、一はそう言って行きすぎようとした私の手を取って引き留める。
それで良い‥‥とはどういう事かと振り返れば、彼の視線は私の手の中‥‥つまり、チロルに向けられていた。
「え?まさか‥‥これ‥‥?」
アーモンド入り‥‥キャラメル入りよりも一は食べやすいかもしれない。
でも、そりゃないよ。

「だ、だめ!!チロルなんて義理も義理、なチョコはあげられない!!」
「何故だ?俺がそれで構わないと言っている。」
「おまえが良いと言っても私の気が済まない!
バレンタインは女の子が主役なんだからサブの男共は引っ込んでなさい。」
「何を言う。貰う方がそれでいいと言っているのだから問題はなかろう。」
とにかく、それを寄越せ‥‥と言いかねない彼に私は慌てて手を振りほどいた。

「駄目!絶対駄目!
一にこれはあげない!」
あげない、という台詞が気に入らなかったのか‥‥彼の表情が険しくなる。
基本、冷静で大人な男だけど、たまーに、妙な所子供っぽくて熱くなる。
こと私の事では‥‥というとものすごい惚気に聞こえて申し訳ないのだけど、私の事では結構、冷静さを失う可愛い彼氏だ。
だからこそ、こんなもので満足させたくない。

「今から買ってくる!」
「駄目だ、もう遅い。
そのチョコレートで十分だ。」
「駄目だってば!これ、ずいぶん前に買ってポケット入れっぱなしだったんだし!」

そもそもバレンタイン用でさえ、ない。
こうなったら絶対何がなんでも買ってくる。
買いに行って戻ってくる間に日付が変わってしまうだろうけど‥‥

そう言い張る私に一は頑として首を縦に振らない。
チロルで良いと言い張って、手を伸ばす。
私は逃げる。
いやだ、これは駄目だと言って逃げる。一は追いかけてくる。
夜中なんだから周り考えろよというツッコミはなしの方向で願いたい。
とにもかくにも、私はこのチョコを渡せない。
一はこのチョコを貰いたい。
でも、私は、いやだ。

「こうなったら‥‥」

力づくでも奪おう‥‥という風な一の様子に気付き、私は奥歯を噛みしめると手に持っていたチロルチョコをぐいと、そこに押し込んだ。
「っ!?」
めり込むのを見て、一の目が見開かれる。

谷間が作れない‥‥と千鶴ちゃんに恨みがましく谷間を見られた事があったが、まさか、こんな使い方をするとは自分でも思わなかった。
シャツの合間から覗く、その自分の胸元に、
チョコレートを隠す、
なんて使い方‥‥
するとは、
誰も思わないよな――

「へっへーん!ここなら取れまい!」

勝ち誇る自分がひどく馬鹿っぽく見える。
だってポケットに入れても鞄に入れても、一には奪われてしまう‥‥だとすれば彼がどうしたって手を出せない場所に入れるしかないんだ。
だから、ここ。

いくら彼氏といえど、奥手そうな彼がそんな所に手を突っ込めるはずはない。
だって斎藤一という男は恥ずかしがり屋な可愛い‥‥

青い双眸が僅かに細められ、
ふわり、と風が揺れる。
柔らかい癖のある一の髪がそれに釣られてふわふわと踊り、
そして、
そして、

「―――」

肌に、自分の知らない温もりと湿り気を感じた。

それは一体何なのだろうかと、誰もいない虚空を見つめ、そういえば彼はどこに消えたのかと視線を彷徨わせる。
黒が目に飛び込んできた。
自分のすぐ傍に。黒が。
私と彼の身長差は、3センチ。
彼が僅かに高い‥‥という結果なので、私が彼を見下ろす事はほとんど、ない。
そんな彼の頭のてっぺんを私が見る事になるとは思わなくて‥‥

え、
なんで、
こんなに、
近くに?

呆然と見つめる私を現実に引き戻したのは「かり」と肌に立てられた固い、感触だった。
痛いわけではないのに背筋を一瞬の内に何かが駆けめぐり、抜けていく。
脳天まで通り抜けた瞬間、鈍っていた脳が思いっきりぶっ叩かれて、無理矢理起動を命じられた。
だけど脳が動き出して声を上げるよりも前に、

「っ」

いつの間にか腰に回された手が私の身体をふわりと浮かせる。
うわ、と悲鳴が小さく上がるけれど、バランスを崩した私の身体は倒れることなく、次の時にはカーペットの上に横たえられていた。
後頭部もぶつけても痛くないのに、ぶつけないように手が守ってくれていて、ありがとうと口に出来なかったのはそいつの顔が近くにあって私を見下ろしていて、
そんでもって、そいつの口に、
小さなチョコの包みが咥えられていて、驚きに喉だけが鳴った。

奪われたのが分かった瞬間に色んなものががちりと嵌って、私の顔は一気に真っ赤になっていった。
恥ずかしさと、驚きと、困惑と、いろんなものがぐちゃぐちゃになって、でも、出来た事は自分の胸元を隠すくらい。
そこに埋められていたチョコはもう、ない。
代わりに、まるで悪戯に対する罰とでもいうように‥‥歯形が微かに残っていた。

乙女の柔肌に痕を残した犯人は、双眸を細めて艶っぽく笑い、頭を支えていた手を抜くと片手で器用に包装紙を剥いて、口の中に茶色い塊を放り込んだ。
形が崩れて無くて良かった‥‥と安心するべき所か。

「確かに、もらいうけた。」

多分もう溶けてぐにゃぐにゃと柔らかくなっているだろうチョコを噛みつぶしながら、一は悪戯っぽく言う。

「誰も、あげるなんてっ‥‥」
言ってない、というかわいげのない言葉は勝手にチョコを奪っていったのと同じように唇も奪う。
重ねた唇は安っぽいチョコの味。
「あ、ま‥‥」
甘いから嫌だとでも言わんばかりの文句がキスの合間に漏れる。
一は笑った。
笑ってそうかと言ってまた、塞いだ。
何度も何度も、その甘さを教えるみたいに口づけられた。
本当に、安い、チョコの味。
無駄に甘くて、酔いそう、で。

「‥‥来年は‥‥ビターチョコにする‥‥」

だからもうこんな甘ったるいキスは嫌だと言えば、青い双眸は確かな熱を灯して――口づけだけが前よりも甘く、深く変わった。


エピソード4:可愛い後輩



  唯一恋人同士な関係。
  ものすごくくそ真面目に「本命チョコ」だけを
  受け取ればいいと思う。
  胸の谷間にチョコ……をどうしても彼に口で
  取らせたかったが為に出来た話(笑)
  
  2011.2.14 三剣 蛍