「好きな子以外のチョコレートなんて面倒だから受け取らないよ。」

そう言っていた彼が、二月十四日。
秘書課の可愛い女の子からのチョコを受け取っていたのを、見た。

「ずっと前から沖田さんの事、好きでした。」

と恥ずかしそうに言うその人に、なんでかな、女の私もぐらっと来たほどだ。
男の人はたまんないはずだ。

「ありがとう‥‥」

そんな彼女に、総司はそう言って、照れたように笑う。
ああ、やっぱりあの人も可愛い子が好きなんだなぁって‥‥私はこの時思ったものだ。



、あと十分だぞ!」
急かすような同僚の声に分かってると私は苛立ちを含んだ声で答える。
答えながらも意識はパソコンの画面に向けられていて、がちがちと乱暴にキーボードを打つ手は止まらない。
止まれば終わる‥‥それを知っていたから、私は手を動かし続けた。
頭の方はほとんど回っていない。
もうある種反射のようなものでキーボードを打ち続けた。
忙しくて何も考えられない‥‥というのはある意味ありがたい状況だったのかもしれない。

「お、わったぁ‥‥」

最後の一文字を入力した瞬間、私は突っ伏した。
頭からぷしゅーと白い煙でも出てきそうなくらい、フル稼働していただろう。
でかした、という同僚は私を誉めたて、嬉々としてデータを持って出ていく。
行ってくると言う彼らの背中を突っ伏したまま見送った。
「お土産期待してるから」とかいう軽口も出てこないほど、私は疲れていた。

「大丈夫か?」
突っ伏したままの私に気付いたらしい、龍之介が近付いてきて、私の顔を覗き込む。
横になる私の視界には心配そうなそいつの顔が映り込んでいる。
「‥‥大丈夫‥‥」
「には見えないぞ。」
ですよねー‥‥
私は自分でも大丈夫じゃないとこの時ばかりは自覚していた。
だから、龍之介を茶化したりはしない。
よいしょと身を起こすと、くるりと椅子を回転させて、龍之介に手を伸ばす。
なんだ?
と怪訝そうな顔をされた。
私は言った。

「医務室に連れてってー」

見事に龍之介の顔が真っ赤に染まった。
相変わらず可愛いやつだ。


今日はとにかく仕事が多かった。
私が自ら蒔いた種、でもあったんだけど、とにかく多かったんだって。
おまけにちょっと昨夜色々あって寝不足だったし、おまけに生理が来ちゃって‥‥
ダブルパンチなところに、今朝の「あれ」だ。

正直、精神的にはだいぶ、キていた。

特に、今朝の「あれ」



どさ、と身体をベッドの上に放り投げられる。
放り投げる‥‥と言うにはちょっと優しいのは、龍之介なりに私の身体を気遣ってくれているから、だと思う。
それでも私はベッドの上に仰向けになりながら、
「龍之介ってば、乱暴‥‥」
もっと優しくしてよと含みを持たせて言うと龍之介は更に顔を赤くして、叫ぶように言った。
「ご、誤解を招くような事を言うな!!」
「あはは、私と龍之介の仲じゃない。」
「お、俺はただの同僚だ!!」
「一緒に風呂に入った仲の、な。」
「それは小さい頃の話だろうがっ!!」
龍之介苛めは楽しい。
盛大に笑った瞬間、じり、と下腹に痛みが走った。
まるで天罰だ‥‥とでも言わんばかりに、鈍痛がじわじわと這い上がってくる。
「い、てて‥‥」
「‥‥?」
大丈夫か?と龍之介はまたすぐに心配そうな顔へと戻る。
さっき弄り倒された事を忘れているのか、いや、違うな‥‥それが龍之介の優しさだ。
「平気‥‥ちょっと、横になってたら治るから。」
靴を脱いで、布団をはぎ取ると隙間に潜り込む。
冷たいそれにサンドされて身体がひやりと冷えた。
萎縮した瞬間、どろ、となんともいえない感触がして、気が滅入る。
ああくそ、女って厄介だな‥‥
「龍之介、鞄とってー」
「え?あ、ああ。」
一緒に持ってきて貰った鞄を指さすと、彼はすぐに持ってきてくれた。
それをベッドの上に置いてごそごそと薬を探した。
けど、見つからない。
おや?忘れてきたか?
いや、そんなはずはない。
昨日ちゃんと中に入れたし‥‥
ああそうか、どっかに紛れてしまったのか。
「んー‥‥」
私は唸りながら鞄をひっくり返す。
どさどさと中から出てきたのは仕事の資料やら定期やら、手帳やら、化粧ポーチやら‥‥

――グリーンの包みやら。

「‥‥‥あ‥‥」

今日が二月十四日だと知っていれば大抵は、その中身に予想がつく。

チョコレート。

だって今日はバレンタインだから。

それを、龍之介も分かったらしい。
というか、多分こいつの事だから今、見て、気付いた、みたいな?
「‥‥っ」
龍之介はさっと視線を逸らしてしまった。
いや、別に下着やら女性用品じゃないから、そんな気遣いは不要なんだけどな。
それともあれか、私がチョコを用意してるってのは見ちゃいけないものの一つなのか?
その扱いってどうよ。

「‥‥龍之介にこれ、あげる。」
そんな龍之介に、私は言ってチョコを押しつけた。
彼は驚いたように目を見張った。
「え?!な、お、俺にか!?」
「うん、義理で申し訳ないけどね‥‥」
まあ、本命は別の人から貰えるだろうし、逆に私から本命とか言われても龍之介には嫌がらせにしかならないだろう。
「い、いや、でもっ‥‥」
「なんだ?私からのチョコは受け取れないってのかー?」
酔っ払いか、自分。
龍之介は困ったような顔で私を見た。

――他の人に用意したもので申し訳ないとは思うけれど、受け取ってもらえないと逆に惨めになる。

「いいから、受け取ってよ。」
お返しはいらないし、とこれまた茶化せば、龍之介は漸く納得してくれたようだ。
「‥‥そ、それじゃあ‥‥」
遠慮無く受け取るぞと彼は言った。

龍之介があの人と同じじゃなくて良かった。

『好きな子以外のチョコレートなんて面倒だから受け取らないよ。』

そう言ったあの人と、違って、本当に――


ぐわし、

チョコが龍之介の手に渡る一秒前。
突然背後から伸びた手が龍之介の頭をむんずと掴んで、

「ぁいだだだだだだだだっ!?」

後ろに遠慮無く引っ張る。

そのままぼきっと首の骨が折れそうなくらいに後ろに折り曲げられ、龍之介は盛大に痛がった。
いや、あれは痛いと思う。
龍之介の顔真っ赤だし、マジで。
痛いと思うんだけど、私は止めてあげられない。

何故ならそんなひどいことをしてのけたのは、

「そう‥‥じ‥‥」

その人だったから。
そのチョコレートを渡すはずだった、その人だったから。

「君、良い度胸してるよね?
彼女からのチョコレートを貰おうなんて、さ。」
「い、痛いっ!痛いって!!
くく、首が折れるっ!」
「君みたいなモテない子が、彼女からチョコを貰おうなんて百万年早いよ?」
龍之介は一体いつまで長生きしなきゃいけないんだろう、的な暴言を吐きながら総司は手を更に後ろに引く。
勿論痛みを堪えるために龍之介の身体も後ろに下がって‥‥
「うわっ!?」
最終的には後ろに倒れ込んだ。
無様にどたんと、背中を床にたたきつけて。
「い‥‥てて‥‥
お、沖田ぁ!おまえ何をしやがるっ!!」
龍之介は首と背中をさすりながら彼を怒鳴りつけた。
「あれ?先輩を呼び捨てってどういうことかな?」
龍之介はわけあって一年ダブった後に会社に入っているから、実際は私の一つ上。年齢で言うなら総司とタメ。
だから‥‥か分からないけど、龍之介は彼に対しては「先輩扱い」をしない。
元々彼を嫌っているせいでもあるのかもしれないけれど、とにかく呼び捨て、状態、タメ口、状態だ。
「何が先輩‥‥だよ!先輩ならもう少し先輩らしい所を見せてみろっていうんだ!」
よっぽど痛かったのかな、龍之介はマジで切れて怒鳴りつけた。
総司はそれを受けてもいつものように何処吹く風‥‥かと思いきや、
「先輩だから、先輩らしく忠告してあげてるんじゃない。」
と、やけに苛ついた声で反論した。
いつも笑顔のその瞳が‥‥この時ばかりは、マジだった。

「君が誰かに恨まれて大変な事にならないように‥‥僕は止めてあげたんだよ?」
「っ!?」

背筋が凍りそうな笑みを浮かべた彼の言葉に、龍之介はぎくりと身体を震わせる。
それから、私の手にしたそれと、彼の顔と、を交互に何度も見て‥‥やがて、

「お、俺、用事を思い出した!!」
「ちょ、龍之介!?」

まるで逃げ出すように、彼は医務室を飛び出してしまったのである。


出来れば、彼とふたりきりにはされたくなかった。

いつもは出てくる軽口も、今日ばかりは出てこない。
理由は分かってる。
「あれ」を見たから。

「‥‥それ、井吹君にあげるつもりだったの?」

きゅ、とチョコレートを握りしめる私に彼は訊ねる。
それ、と目で指されたのは私の手元。チョコレートの入った包み。
それがチョコだって言う事は勿論彼も分かっているはず。
だって、さっき同じ物もらってたしね。

「‥‥‥そう、ですけど‥‥」
なにか?と私の声は微かに尖る。
言葉に、そして、声音に、彼の眉間に皺が寄った。
「敬語。」
先に指摘されたのはそれだった。
彼は、私が敬語を使うのを嫌がる。
たった一年だから、という理由でタメ口を求められた。
最初こそは敬語を使っていたけれど、それだと彼が応えてくれないのでタメ口を使うことにした。
因みに呼び方もそう。
「名前で呼ばないと返事してあげない」なんて無茶苦茶な事を言われてからは、ずっと彼の事を『総司』と呼んでいた。
生意気かな、とも思ったけど、名前で呼ぶ事を許されたという特別感が嬉しくて‥‥私は今までずっと、従ってきた。
でも、今日は彼の言う事を聞きたくなかった。
今までの気安い関係も、今朝のあれを見てからでは、なんだか惨めになるから。

「先輩に、タメ口なんて使えません。」
固い声で言うと、総司‥‥いや、沖田さんはますます気に入らないと言う風に、空気を尖らせる。
「‥‥まあ、それは今、どうだっていいや。」
吐き捨てるように彼は言うと、それより、と私に完全に向き直って再度追求。

「本当に、井吹君にあげるつもりだったの?」

本当に。
という言葉に何故かぎくりと身体が震えた。
まるで、それの本当の渡す相手は違うと見抜かれているみたいで‥‥私は怖かった。

本当は違う相手に渡すつもりだったんじゃないの?

でも、渡せなくて仕方なく彼に渡したんじゃないの?

そう、言われたみたいで‥‥

「違います、龍之介に渡すつもりで‥‥」
「本当に?」

翡翠の瞳がすいと細められ、探るようなそれになる。
いや、探るというよりも、嘘を吐く私を咎めるような、それに。

嘘じゃ‥‥ない。
本当に、龍之介に渡すつもりで‥‥
――うそ――
――ほんとうは、べつのひとにわたすはず――

デモ、

『好きな子以外のチョコレートなんて面倒だから受け取らないよ。』

ソノヒトハコレヲウケトッテクレナイカラ

「沖田さんには、関係、ないじゃないですか‥‥」
まるで恨み言のような声が口から漏れてしまう。
彼は私の言葉に驚いたような顔になった。
「好きな人から‥‥もう、もらったんでしょ?」
沖田さんは。
一人からしかもらわないんでしょ?
じゃあ、私のチョコなんて関係ないじゃないか。
放っておいていいじゃないか。
なんで知りたがる?
「私のチョコなんて‥‥どうだって‥‥」
どうだっていいじゃないか。

なんで、私は彼を責めているんだろう?
そんな権利ないのに。
彼は彼の好きな人からもらっただけだっていうのに。
それを私がどうこう言う権利はない。
なのにどうしてこんな責めるような口調になってしまうんだろう?

そんな資格、私にはないのに――


「あー、大失敗。」

俯いて、手にしたチョコをぎゅっと形が変わるくらいに握りしめた瞬間、やけに大袈裟な溜息と言葉が飛んでくる。
どこか罰が悪そうな声は、沖田さんのものだ。
「こんなはずじゃなかったんだけどなぁ‥‥」
彼は言いながら、かつかつと靴音を鳴らして近付いてきて、その爪先はぴたっとベッドのすぐ脇で、止まる。
そうして彼は、どかっと遠慮無くベッドに腰を下ろした。
一気に距離が近くなってぎくりと肩を強ばらせて身構える私は、

「‥‥さっきのあれ‥‥君が見てると知ってて、わざと貰う振りをしただけ。」

あっさりと告げられた彼の言葉に一瞬、何を言われたのか分からずに呆然とした。

え、それ、なに?どゆこと?
私が見ていると知ってて、わざと?
わざとチョコを貰う振り?

呆然と見上げると彼はだってさ、と唇を尖らせる。
「君、いつまで経ってもチョコくれないし‥‥目の前でチョコをもらってる姿を見たら、少しは焦ってくれるかなぁ‥‥って‥‥」
そう口にしてから「言っておくけど」と彼は慌てて付け加える。
「あのチョコ、突き返したからね。」
貰ってないからね、と。

秘書課の、あの子のチョコ、貰ってない?
え?
なんで?
どうして貰ってないの?

目をまん丸く見開いて、どうして?なんで?と訴える私に、彼は溜息と共に、こう零した。

「やっぱりストレートに言えば良かった。」

君、恋愛事には鈍いもんね、と彼はちょっと失礼な事を口にし、少しだけ、躊躇うような間を作る。
シーツの上の手が開かれて、ぐ、と閉じられて、なんだかそれが気になって見つめていると、その手が最後にきゅっと握り込まれて、動いた。

「僕が欲しいの‥‥これだけだから。」

彼は、私の手の中。
チョコレートの包みを指先で摘んでいた。

「僕が欲しいの、これだから。」
だから、頂戴とでも言うみたいに、く、と軽く引っ張られる。
それをさせまいとするように力が入ってしまったのは‥‥包みが目に見えて歪んでしまったせいと、まだ、自分の気持ちに素直になりきれていないせい。

「だめ、なの?」

ひどく傷ついたような声が、私の上に落ちてきて、驚いて私は顔を上げる。
彼は、声と同じような傷ついたような表情でわたしを見ていた。
そこにはいつもの飄々とした彼はいなくて、どこか不安げな‥‥彼らしくもなく頼りない表情が浮かんでいて、
「これ、君の本命チョコだよね?」
彼は躊躇いがちに訊ねる。
私だって確かに傷ついたはずなのに、なんでかな、そんな哀しそうな顔をされると私の方が悪者になった気分になる。
「このチョコは、君の「好き」って想いが詰まったチョコだよね?」
「‥‥おきた‥‥さん‥‥」
「僕に‥‥くれるんじゃ、なかったのかな?」
自惚れだったのかな、と彼は自嘲じみた笑みを浮かべた。

「君は、僕の事を好きになってくれたと思ったんだけど‥‥」

僕の勘違いだったかな?

くしゃりと無理矢理浮かべたみたいな笑みは、心が締め付けられるくらいに苦しそうな表情――


今にして思えば、それは作戦だったのかもしれない。
全部、彼の作戦で、私はその上で踊らされていたのかも知れない。
それでも、
私は構わなかった。
例えば彼の思い通りに全てが進んだのかも知れなくても、構わなかった。


「チョコレート、ありがと。」
総司は歪んだチョコの包みを手にしながら、嬉しそうに言う。
私は言葉にならなくて、ただこくこくと頷いて彼の肩口に顔を埋めた。
そうすると、背中に回った手が更にきつく、私を抱きしめてくる。
「ごめんね。誤解させるような事、して。」
「もう、いい。」
もういい。
だってもう、十分私は嬉しいから。
傷ついた分、めいっぱい喜ばせて貰ったから。
もう、謝らなくても良い。

「じゃあ‥‥それはもう、謝らない。」
「うん。」
「それじゃ、もう一つの方を謝ろうかな。」
「‥‥‥え?」
なに?と顔を上げた瞬間と、腰を攫われるのが同時だった。
うわ、と驚きの声が口の中で漏れ、次にどさりとマットに沈められて吐息が漏れる。
ベッドに寝かされたとは分かったけれど、その上にどうして黒い笑みを浮かべた彼がのし掛かっているのか、分からない。
「え?あ、あの!?」
俗に言う、押し倒されてる状況‥‥だというのは恋愛歴の全くない私でも分かる。
ただ、どうしてそういう状況になったのかが分からず、なんで、どうしてと若干パニックになる頭で考えれば、総司は瞳を細めて艶っぽく笑った。

「チョコと一緒に君も貰うから。」
理解不能な言葉に一瞬思考停止。
「多分、遠慮してあげられないと思うから、先に謝っておく。」
ごめんね、と謝罪する言葉には全く謝意は感じられない。

え?なに、どゆこと?
チョコと一緒に私を貰う?
遠慮してあげられなくてごめんって‥‥一体‥‥

その言葉の意味を理解するよりも前に、私の身体をまさぐるその手にぎょわと変な悲鳴が上がり、否応なしに彼のしようとしている事を突きつけられて、焦った。
「ちょちょちょ、おおお沖田さん!?
なにしてっ」
「なに‥‥って、君を貰うってさっき言ったじゃない。」
「言ったけど、私、承諾してませんっ!」
「ああ、それは却下だから。
それから、敬語と呼び名‥‥戻して。」
と一方的に命令をしながら、彼はちゅうと抵抗に身を捩る私のこめかみにキスを落とした。
「ひわっ!?」
ぞわりと寒気にも似たものが駆け抜ける。
残念ながら嫌悪じゃない。
嫌悪だったら突き飛ばせるのに‥‥

「医務室なんてムードもへったくれもないと思ったけど、これはこれでスリルがあって興奮するもんだね。」
興奮しないで!
っつか、そんな事しようとするなっ!
こんな所で、しかも、こんな日に!

「お、沖田さん!今日、マジ、やばいっ!」
私の抵抗をいとも簡単に突破してしまう彼の手は、もう、シャツの下だ。
ついでにもう片方はスカートの下から太股を撫でていて、足を閉じようとした瞬間にその違和感をいまさらのように思い出して声を上げる。
『沖田さん』と呼ばれた彼は不満げに私を見たけれど、それを今は指摘する気はないらしい。
それよりも何よりも『それ』を先に進めるのが大事らしく、彼は太股を撫でていた手を内側に滑らせた。
ぞわぞわと背筋を甘い痺れが走っていくのが分かる。それが抵抗する力を奪っていくのも。
「きょ、今日は駄目だって!」
「駄目じゃないでしょ?バレンタインに初エッチなんて‥‥ロマンチックで良いじゃない。」
「イベント云々の問題じゃなくてっ‥‥」
「身体の問題?
それなら安心して、僕はもう準備万端‥‥」
そっちの都合なんか知るか!
私は心の中で叫ぶ。
叫べなかったのは彼の手がとんでもない所を撫でたからだ。

ひ、と情けない悲鳴が喉の奥で弾け、背が撓る。
思わず理性が快楽に押し負けてどろりと流されてしまいそうだった。
それを、辛うじて堪えると、私は恥も外聞もなく、彼にぶちまけた。

「だ、だめ、私今日、生理っ」

龍之介に生理の事を言っても恥ずかしくもなんともないのに、彼にぶちまけるのは勇気が要った。
なんていうか‥‥すごく恥ずかしい事を言った気分になる。
女に生まれたからには仕方ないことなのに。
一世一代の大告白をした気分になった。

その、大告白を、

「いいじゃない‥‥どうせ、血が出るのは同じなんだし。」

彼はしれっとした様子で流すのだから、腹立たしい。
え?いや、腹立たしいけど、今彼なんて言った?

血が出るのは同じ?

なにそれ、どゆこと?

衝撃のあまり抵抗を止め呆然と見上げる私に彼はしれっと、恥ずかしげもなく、言い放った。

「きみ、バージンでしょ?」
「っ――!?」
あまりの言葉に絶句。

そりゃ初めては血が出るって知ってるよ。
生理の日も血が出るから、そう言う意味では同じ事‥‥って、違うだろ!
いやいや、それ以前に、

「な、なんで‥‥それ、知って‥‥」

私がバージンだってなんで知ってんだ、この人。
会社ではそんな話誰ともしてないし、勿論龍之介にだって言ってない。
私の恋愛歴がどう、とか誰も知ってるはずがないのに、なんで‥‥

なんで?

問いかけに彼の口元がつい、と引き上がる。
ぞっとするほど色っぽくて、逃げ出したくなるほど、綺麗な、笑みだった。

「そりゃぁ‥‥」
と彼の唇が聞きたいような聞きたくないような言葉を紡ぐ。
よりも、前に、
「はい、そこまで。」
ぱちんと、唐突に聞こえた乾いた音と第三者の声に私たちは弾かれたように顔を向けた。
視線の先にはいつの間にやって来たのか、
「さ、山南さん!?」
この部屋の主とも言える保健医、山南さんの姿があって‥‥
「出刃亀、ですか?山南さん‥‥」
青ざめる私とは違い、総司は不満げに唇を尖らせて彼を睨み付ける。
「出刃亀‥‥とは失礼ですね。
私はただ、可哀想な雪村君を助けてあげようと思ったのと‥‥」
哀れみの籠もった目を私に向け、それから、総司へとまた戻して、しれっと言い放つ。
「大事な合同会議をすっぽかすのはよろしくないと忠告しに来ただけです。」
柔和な笑みを向けられる。
眼鏡の奥は笑顔。でも、それが全然笑っていないのに気付いた。
うあ、山南さん、こっえ‥‥
そしてそれに物怖じさえしない総司も、ある意味、怖え。

「合同会議よりこっちのが大事なのに。」

んなわけあるか。
私と山南さんはきっと心の中で同じツッコミだ。
因みに私はあまりに決まりが悪すぎて、プラス、恥ずかしすぎて俯いたままいそいそとボタンをはめ直すしかなかった。
そんな私を見てやれやれと肩を竦めた総司は、分かりましたよと本当に、ほんとーに不承不承と言った様子で頷いた。
「出ますよ。
とっとと終わらせてきます。」
ぎし、とベッドを軋ませて降りる彼に山南さんはそうしてくださいと苦笑で応える。
中途半端に終わってほっとしたような‥‥残念なような、なんとも言えない複雑な気持ちで乱れた髪を整えながら向けられる広い背中を見つめていると、あ、そうだ、と彼は思いだしたように振り返って、

「会議が終わるまで、ここで待ってるよね?」

悪戯っぽい笑みで言われる言葉は、質問なのか、それとも命令なのか。
でもきっと私の返事を聞かずに出ていったから、それは後者‥‥なんだろう。



「‥‥今の内に帰宅するのをオススメします。」
「デスヨネー」
「ですが、今日逃げた分、後が大変になるとは思いますけれどね。」
「‥‥山南さん‥‥一体私をどうしたいんですか?」


エピソード3:意地悪な先輩



  わかりにくい愛情表現故にこじれる人。
  他の人は一目瞭然なんだけど、当人にだけ何故
  か伝わらないという。
  両思いになった瞬間にものすごい独占欲発揮。
  龍之介はその被害に何度も遭うことになるん
  ですよ( ´艸`)
  
  2011.2.14 三剣 蛍